古代ローマの水道橋のような幻の橋、タウシュベツ川橋梁 |
このページは、北海道遺産に認定される前のあまりタウシュベツ川橋梁が有名になっていない頃、2001年初夏の訪問記です。現在とは訪問できる条件がやや異なります。 最新の訪問は2008年秋です。こちら 2001年6月9日、昨日の石北線の駅めぐりに続き道の駅「おんねゆ」にて車中泊をし、早朝出発して前々から見たい見たいと思っていた幻の橋ならびに東大雪アーチ橋群と呼ばれている橋たちを見に行った。 それらの橋は、かつて国鉄士幌線で使用されていたコンクリート橋である。 国鉄士幌線は大正14年(1925年)帯広〜士幌間が、そして昭和14年に終点となった十勝三股まで開業した。そして実現は不可能であろう大雪山系を越えて上川まで伸ばそうと夢の鉄道計画もあった。この士幌線は、十勝北部の農業、林業開発に多大な影響をもたらしたが、国道の整備による車社会の到来により昭和63年(1988年)に廃止された。廃止される前には、昭和31年糠平ダムが出来た為に線路の付け替えした。十勝三股まで国道が延びると製材工場が移転してしまい、昭和52年、糠平〜十勝三股間の1日平均乗客数は6人となり、ただし上記のように上川までつなげるの夢があるので線路はそのままにしておくという条件で、この区間だけバスの代行運転になった。そしてバスの停留所を2つ増やしたおかげで乗客数はわずかに増えたそうだ。 コンクリートのアーチ橋群は1936年から1955年にかけて造られ、大きなものだけで15橋梁造られ、これらは北海道で始めて造られた。アーチの大きさは10Mであるが第三音更川橋梁は32Mのアーチが作られ、当時は日本の鉄道用のアーチとしては大きくこの成功によって日本各地でこのような橋が作られるようになった。
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