ということで、要塞が機能していた頃の函館に関わる写真(絵葉書や本)や、地図には「要塞司令官部許可済」と印刷されている。
写真では、函館山が写らないように撮影したものや、写りこんでいるものに関しては、意図的に山を雲が被っているように白くぼかして山の存在を消している。
地図に関しても、函館市の地図には山は記載されていない。
函館要塞は、1895(明治28)年、日清戦争終結後、日露戦争を想定して津軽海峡の防衛強化のため、また当時の北海道開拓の玄関口函館港湾を守ることも兼ねて計画され、要塞地帯法によって1898年から函館山のいろいろな場所に本格的に建設された。
しかし、1904年の日露戦争時、ロシア艦隊が日本船舶に危害を加えたが、要塞の施設が旧式だったため、要塞からは1は1発も砲弾が発射されなかったとのこと。ただし、要塞の存在がロシア艦隊の攻撃の抑止力になっていたのは間違いない。
こう書くと、要塞は大した施設じゃなかったのか?と思う人もいるかもしれないが、石組みやレンガ造りの構造物の遺構は目を見張るものがある。 |