観測所の北側、アンテナの横には砲台の跡が残る(1)。この先にも砲台跡が残っているのでこちらを千畳敷の南側の砲台とでも呼んでおく。
(2)の砲台のあった場所の壁中央の窪みは通路で、司令所に繋がっている。砲台から砲側庫を見たものが(3)。砲側庫は2箇所あり、その間にも砲台跡がある。
(4)は(3)の写真の砲側庫、内部が(5)埋めたれた跡が残る。 (6)は2つ目の砲台跡、左側の白い建物の下の雍壁は建物を建てるために作られたコンクリート製。
(7)は2つ目の砲側庫。(4、5)と微妙に形態が異なり、内部も違う(8)。 (9)は(3)の突き当りから要塞部位を見返したもの。
(1〜9)の千畳敷の南側の砲台から北側の傍に、(10)のような場所が現れる。かつては施設があった模様。
砲台と(10)の施設は、通路では結ばれていない(過去も結ばれていない?)
(10)の突当たりが(11)、厠跡。余計な心配かもしれないが、溜まった屎尿をどうやって運んだのだろうか?(13)は、反対側を見た写真。
(12)は(10)の写真右側の施設で、「防火用水」と記された新しい看板があるが、それは現在の使用方法であって、かつては水利施設だった模様。この下に大きな水槽があるのだろう。
(10)の右側の先が(14)、ただし、木々が生い茂り、先にはいけない。
整備された道から先にある遺構を覗くことが出来るが、大部分が崩れてしまっている(15)。草木が緑になると殆ど見えないであろう。