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あやしい城をパクッてます。

管理人@弐四四は、お城に対して知識はありません。

松前城(福山城)

沿革

約550〜600年前、松前には大館と呼ぶ館があったが、後に松前氏を名乗った蠣崎氏がこの地に居住し徳山城と名付け、松前家5世慶広が慶長5年約400年前に現城跡に大規模な館を造り、福山館と称した。
その後17世早崇広の代に北方警備の必要上幕府は松前藩に命じて本式の城を築かせ安政元年に完成した。
東西240m、南北300m、16の門、7つの砲台、4つの櫓を有するわが国最後の本格的築城であった。
明治元年箱館戦争のとき、攻防のちまたとなり、明治8年天守と本丸御門を残して大部分は取り壊された。
城跡は昭和10年国の史跡に、天守と門は16年国宝に指定されたが昭和24年の業火のため三層天守を焼失し、国宝指定が解除された。
昭和25年本丸御門は国の重要文化財に指定されている。
昭和35年天守閣、同36年搦手門は鉄筋コンクリートで再建された。要するに復元天守閣の建物なのだ。



現在は松前城資料館となっている。

復元天守閣とはいえ、

北海道に唯一ある天守城なはずのだが…


家具の宮川   新規



 

旭川市内にあります。家具の宮川

昭和12年建築
北海道の帝冠様式の代表?ともいえるような佇まい。家具屋だが仏具も扱っている。

帝冠様式
昭和初期、ナショナリズムの台頭を背景に、日本で発生した建築様式であり、現代的な鉄筋、鉄骨のビルに日本の伝統的な屋根を載せた非常に特徴的な意匠を持つ。



キトウシ展望閣



 

旭川の東、東川町の「キトウシ森林公園家族旅行村」内にあります。

東川町開基80周年、全長圃場整備事業の完工を記念して昭和49年秋建築したもの。
鉄骨木造3階建、高さ14.6メートル。
建物内は、開拓時代の生活用品を展示。

3階部分からの眺めは大雪山連峰、東川の田園、そして旭川市街を一望できてとても良い。



鯉寿司



 

旭川市のお寿司屋さん。

旭川市街から札幌方面へ向かう際、忠別川に架かる旭川大橋を渡っている途中、右手に天守閣風の青い屋根がなんとなく見える。さらにその和風な天守閣風の先の奥の丘には、西洋のお城風の雪の美術館が見え、その対比が面白い。

鯉寿司は四国高松城を模した建物だそうです。

残念ながら対比の写真は撮影しておりません。



徳川城



 

こちらを参照(当サイト内)してください。

夜はライトアップもされるようです。



ろくごうラーメン



 

遠軽町、国道333号と242号の交差点付近にあります。

パッと見、お城っぽくありませんけど、天守閣のような形です。御店の裏に何故か鳥居があって、その横の地元の会社の駐車場の奥にもお城があります。



無名



 

旭川市から東神楽町の温泉施設「森のゆ」へ向かい、それを過ぎて志比内の集落へ向かう途中畑の中の民家にあります。

個人宅のなかに天守が2つと五重塔が1つ、ホノボノとした感じが車窓を楽しませてくれます。



無名(本当は名前ありますけど…)



 

国道39号線美幌方面から端野町に入り、スーパー東武を過ぎて北見市に入るか入らないかの1つ目か2つ目の信号を右折した中通りに素敵な天守閣があります。芸術作品の域ではないでしょうか?

個人宅のようですが、たぶん城主の名字をとった○○城と名前が付いております。



館城 



 

道南の厚沢部町に館城跡があります。

「館城というのがありますよ。」という叱咤激励のメールを頂きました。有意義な情報ありがとうございます。

函館戦争の際、明治元年(1868)9月1日に着工し、10月25日に55日で完成させたという一夜城ならぬ2ヶ月城。しかし榎本軍により11月15日に完成後2週間で落城。
そんな城跡が公園になっているようです。土塁跡、井戸跡などが残るほかは何も無いようですが…、天守閣風建築物が作られている。

写真提供*氏(ありがとうございます)





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