函館こどものくに

 
現在、夜景と観光の街として、国際的な観光地となりつつある函館。
この街はかつて、北洋漁業の基地として栄えた歴史がある。戦後の昭和29年、北洋漁業再開を記念して「北海道大博覧会」(北洋博)が開催された。
函館の街は、この博覧会を開催するにあたり、函館山登山道路や市内の道路整備、函館山展望台、会場となった五稜郭公園の整備、駅前観光案内所の設置、市庁舎・函館公園内動物園など…観光開発を目的とした施設の整備を行い、現在の観光都市の礎を築いたのである。

その北洋博では、函館公園が第一会場、五稜郭公園が第二会場となっていた。博覧会では「子供の国」が第二会場の五稜郭公園にあったが、博覧会が終わった後、遊戯設備は、第一会場であった函館公園に移設され「こどものくに」として現在に至っている。 

2006年5月訪問



「こどものくに」入口



日本最古の観覧車と新幹線


函館公園は、明治12年11月に開園した歴史のある近代公園で、道の有形文化財の旧函館博物館、さらには道内初の動物飼育施設、松や桜などさまざまな木々、噴水、いろいろな碑などがある。

その公園の一角にある「こどものくに」には、北洋博が行われた頃の遊戯施設が現役としていくつも残っている。

その中でも観覧車は、検索すると、北洋博から転用されたわけではなく、大沼にあったもので、現存する観覧車では日本最古である。
飛行塔は、北洋博開催時のもので昭和29年(1954年)からのもので、検索しても記載は見つからなかったが、こちらも日本最古ではないのでは?。

また、メリーゴーランド、回転ブランコもかなり年季の入った懐かしいものもある。その他、新幹線やまびこ号、ロケット型遊具などなど、昭和時代のまま、時代が止まっているスポットなのだ。

また、前出のように動物飼育施設、ミニ動物園があったりと、函館のこども達のお楽しみスポットである。ただ、駐車場がないのが残念。
写真撮影枚数少なく、再訪したい。



北洋博から転用された飛行塔



切符売場



レトロな木馬、メリーゴーランド


動物園、こんな写真ですいません




函館市北洋資料館
 
   
 函館の五稜郭タワーそばには、五稜郭公園等に利用できる市営駐車場を併設している道立函館美術館、函館市芸術ホール、函館市北洋資料館などの公共施設がある。

今回は北洋漁業に関連する資料の保管、及び展示を目的として1982年に開館した函館市北洋資料館を2006年5月に訪問。
 
函館と北洋との結びつきは江戸時代に箱館に奉行をおいたころからと言われており、特に、昭和4年から母船式のサケマス漁業の基地としての役割を果たしていたが、北洋漁業は、200カイリ問題等で縮小を余儀なくされ、昭和63年でその歴史を閉じた。我々小学生のころは、まだ、北洋漁業(遠洋漁業)は教科書に載っていたけど、今はどうなのだろうか?
 
芸術ホールに隣接する資料館
 
日魯漁業コーナー、衣類等の展示
 
昔の漁業の資料の奥にセイウチの剥製

資料館内に入るとホッキョクグマ、トドの剥製が出迎えてくれ、函館ゆかりの企業である日魯漁業に関する展示物がある。
母船内で使用していた食器やユニホーム、日魯の「カクイチ」のマークに大漁と書かれた手ぬぐいなどの展示。
昔の北方漁業の資料、高田屋嘉兵衛の辰悦丸の模型を抜けると、セイウチの剥製が鎮座している。

北洋漁業の歩みや、サケマス漁業、蟹工船模型が展示してある広い絵展示スペースには、この館の目玉である北洋航海体験室がある。
北洋船の母船?に見立てた船橋から体験室に入ると、そこはリアルな?操舵室を再現してあり、その名の通り体験航海ができる。
窓から見える北洋の荒波、そしてそれを越える前後の大きな揺れを身をもって体感できる。残念なことに、ボランティアの人の話では。昔はもっと揺れたんだけど…、機械の調子が悪くて…なんておっしゃっておりました。今はどうでしょうか?

蟹工船の模型を見ていると、館内のボランティアの方からいろいろレクチャーしてもらったんだけど、まだ小林多喜二の蟹工船がこないだまでちょっとしたブームになっていたその前の訪問で、その蟹工船との違いや、函館から多喜二の蟹工船は出ていくんだ!とかお兄ちゃん、そんな本読んでるの?なんてかんじで、いろいろ話をしてくれました。
 
蟹工船の模型等
 
北洋航海体験室操舵室
 
映像中は揺れるのでこの手ブレ




ピカリン館 函館市灯台資料館(旧椴法華村灯台ファミリー博物館)

イカの街函館、その函館市は2004年に渡島半島の東南端の恵山も含んだ椴法華村を含んだ町村と合併し大きくなった。

函館市街から国道278号で恵山方面へ、そして恵山の北西側の峠を抜けて噴火湾側に出るところで道道231号椴法華港線、元村恵山線で恵山北側の行き止まりの道を進むと、恵山岬灯台が見えてくる。

そのとなりには、今回紹介するピカリン館がある。

かつてはまたの名を椴法華村灯台ファミリー博物館と名乗っていたが、合併後に函館市灯台資料館となった。

英語読みでは、ハコダテライトハウスミュージアム。う〜ん、かっこいい。

灯台前の道道自体は、多分交通量も1日100台もあるかないかではないだろうか?そんな場所に以下の施設が。

こんな場所にこの施設が出来たのは、椴法華村の総合計画に基づいた、道南のオアシス、「ホッケの里」プロジェクトの一事業として、1992、3年度に恵山岬灯台公園が整備され、翌年1995年、人と灯台と椴法華の自然をテーマとしてこの建物は開館した。多分、ホテル恵風等の温泉施設もこのころ出来たのでは?

2006年5月訪問



恵山岬灯台



建物外観



 

 
上記で紹介した道道を走ったGWの際に訪問した。

恵山岬公園にあるピカリン館、車もまばらな駐車場に車を止め、入場券を購入して館内へ。入場券は、なんと1ドリンク券付き。

入って早々、海上保安庁の制服が着れる一角が。まこの手の服があっても、子供向けのサイズではなかったのでは…

そして、この施設のメインであろう、2階吹き抜けを貫いた1890年に初点灯した初代恵山岬灯台の縮小模型がある。天井には星座、そしてブラックライトに照らされた、訳のわからない魚の絵がその灯台の周りに描かれている。貰ったパンフには、灯台周囲の絵が描かれているのだが、合併した際にこのように直したのだろうか?、また、パンフには、星座に関して、「海では楽厳しい臨場感とロマンが伝わってきます」と書かれている…。う〜ん。

このレプリカ灯台の周囲には恵山のリアルのな模型がある。後日飛行機でこの角度で見たときに思わずここで見たものと同じだ!と思ってしまったくらいのもの。

さてこの模型には、山向こうにある、恵山の南側にかつてあったモンテローザの涅槃像、ホテルまでもが忠実に再現されているのである。残念ながら、凱旋門は存在していないが、もしかすると門はこの模型が造られた後にに出来たのであろうか?

1階にはそのほか北前船時代の碇の展示などがされている。階段で2階へ。



写真で取ると綺麗?旧灯台模型



恵山のリアルな模型



モンテローザの涅槃像までも…、リアルだ



2階からの灯台と施設



恵山岬付近の歴史資料、古民具



展望台とドリンクの機械

2階は、世界や日本の灯台の歴史のパネル展示がしてる。

その他。恵山岬に関する資料や椴法華村の屋号などが展示されている。そして展望台へ。展望台は太平洋側,を一望できるが、灯台付近も高台なので、ここから見る景色と館外から見る景色はあまり変わらないような…。

そこにある自販機では、入口で貰ったワンドリンクのカードを入れると飲めるのである。入場料だけではもうしわかないと思っているのか?、この販売機を有効に利用しようと思っているのか?

このような施設。う〜ん、大きな灯台の模型ねえ…。ただこのページを書いている際に、初めてそれが旧灯台であったことが判った次第なのでした。それとモンテローザが、模型にまで再現されていたことしかここの記憶がないのです。

地元の郷土資料館も兼ねているけど、正直こんな場所にこのような博物館(旧館名)のような施設を作っても、訪れる人は少ないのはホッケの里プロジェクトを計画する前から判っていると思うのだが…。資料館と名前を変えたからま、いいっか?なのかな〜?

どうも腑に落ちない箱モノです。ハコダテライトハウスミュージアム(笑)





松前城

北海道の南西、函館から車で100km約2時間、桜が綺麗な北の小京都と呼ばれ、北海道唯一の城がある松前町。唯一の城が松前城(福山城)である。1854年に完成し、箱館戦争で規模が小さくなり1924年(昭和24年)には天守閣が焼失、1961年に再建された。

入場口でお金を払い、地下道で天守閣に進む。歴史的建造物でもあるのでROADSIDE物件ではないのかもしれないが、この地下通路で衝撃なポスターを見てしまったのでここに掲示する。甲冑を付けた侍と笑顔の可愛い水着の女性…こういうセンスはなかなか普通じゃないよな〜。

天守閣内部は、地階に村岡コレクションなるアイヌ民族資料、1階に甲冑類、2階に御用船の管理をしていた松本家ゆかりの資料、3階は何故か貝殻の展示。

この貝殻は、蘭越町にも寄付した同一人物の資料でもある。そして外にでると重要文化財の本丸御門がある。

2002年11月訪問

  
左 :本丸御門と鉄筋の松前城。 中央 :1階にある甲冑。展示内容は薄い。
右 :見てよ、このセンス、彼女が水着で彼が甲冑…。




松前藩屋敷

松前漬で有名なここ松前。幕末には仙台以北最大の都市であった。栄華を誇った城下町を今に再現したのが松前藩屋敷である。

入口は立派な門で、中に入ると幕末の松前の街並みが広がっている。そして建物の中に入ると、自由に見てまわることが出来き、過去にタイムスリップすることが出来る。屋敷内は思っていた以上にしっかりとした街並みであるのだが…。訪問者がわずかなこの施設、建物内にテープによる当時の繁栄ぶりを再現した音声が流れているのが淋しい限りであった。

たべもの屋と、茶屋は閉鎖され無料休憩所となっている。その向かいの番屋では煎餅を焼きながら売っていたが、売っていたおじさん、どうせ誰も来ないから何枚か勝手に食ってイイよって煎餅を頂いたのであった。

2002年11月訪問



藩屋敷入口



幕末の街並みが続く



商家近江屋内



漁屋での酒盛り風景




夕張キネマ街道

夕張市は石炭と共に歩んできた炭鉱の町。そして炭鉱で働く人のためにできて繁盛した商店街は現在、炭鉱跡地にできた石炭の歴史村にちなんで「歴史村商店街」という。働いていた人がいなくなった今この商店街は正直寂れてしまっている。現に訪問したときキタキツネが商店街を歩いていた。しかしこの寂れた商店街には目を楽しませてくれるものがある。それは邦画、洋画の名画を中心とした映画看板が飾られているからなのだ。これもゆうばりファンタスティック映画祭を開催しているからなのであろう。


 
風と共に去りぬ、エデンの東、007、夜霧よ今夜も有難う、などなど
古い建物には映画看板が50枚以上存在している。



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