その一


道道610号占冠穂別線は名前の通り、穂別(現むかわ)の富内から、占冠のニニウまでの間の道路で富内側、ニニウ側ともに取り付けの他の道道使うと、穂別と占冠の中心部を繋いでいるのである。
この道は、崖がある蛇行する鵡川沿いを進むので、頻繁に崖崩れがおこり、不定期に通行止の時期が続くことが多い。道も狭いこともあり、いつも通れるわけでもないので通行する車は多くない。

今回は、2005年9月25日、北海道観光大全の「鬼峠」さんの運転協力により国道274号北側のレポート化が実現しました。

国道274号より南側のレポートはこちら。

道道610号 占冠穂別線 南側 その1へ
道道610号 占冠穂別線 南側 その2へ



(1)国道274号福山



(2)駐車場とガソリンスタンド



(3)南側は通行止


国道274号通称樹海ロードの夕張と日高の中間にむかわ町(旧穂別町)福山という集落がある。福山といってもピンと来ない方は、シェルのガソリンスタンドがある地点です。

さてここの青看板、十字路を示していますが、実際は鍵型の十字路で占冠方面と富内方面では実際は50mくらい離れている(1)。

交差点を過ぎたところに、大きなトイレ付き駐車場がある(2)。

福山から富内方面じゃ路肩決壊のため通行止となっていた。以前から暫くの間通行止が続いていた(3)。

南側は砂利道だが、占冠方面北側は2車線の舗装路で始まる(4)。



(4)北側入口


今回のレポート1枚目は、道路というよりは、福山の集落の状態を記す。

【福山】  (角川地名辞典を参考)

かつてはオロロップと称された地域で、この地域に鉱物や森林が豊富であったことより、昭和16年よりこの地名となった。ちなみにオロロップは居路夫と書かれた。

明治末期に王子製紙への原木搬出で100〜500人が山に入った。大正年間に和歌山、滋賀、大阪、山形、岩手などから団体入植があった。クローム鉄鉱の八幡、岩美鉱山が昭和17年に最盛期を迎え人夫300人を越すほどの集落となった。戦後になって材木業の不振や鉱山の閉山、離農者も増えて人口が急減。

昭和40年  60世帯、327人
昭和50年  33世帯、104人
昭和60年頃 6世帯、 19人 

昭和56年福山小学校閉校、同57年中学校閉校、同年福山郵便局閉局

こちらのサイトは大変興味深い→暮らしの架け橋 甦る廃校

パーキングエリアの裏側には学校跡っぽい雰囲気が残っているので、この付近を鬼峠さんと巡る。
パーキング横の砂利道を進むと門跡が現れ、その奥に校舎が眠っていた。

門は、左側に福山小学校、右側に福山中学校と書かれている(5)。
学校の昇降口まで、轍ができていて、難なく歩いていける。屋根はだいぶ痛んでいる(6)。
そのため、内部は雨漏りによってびしょびしょで天井は落ち、廊下は波打っていた(7)。

また学校までの道には、角に郵便局跡や、教員住宅らしき建物が残っていた(8,9)。



(5)福山小中学校の門



(6)福山小 中学校の校舎



(7)中はボロボロ
これらの建物より、国道が完成する前の、福山の集落の面影を感じることが出来た。



(8)郵便局跡



(9)教員住宅?

道道610号 占冠穂別線 北側 その二


こんなところ走りましたに戻る