旧国道39号 道道640号中愛別上川線 〜上川橋編


札幌と網走を結ぶ道路について。→国道39号旧道 伊香牛〜愛別 編 を参照

今回紹介する区間について、上記参照先の補足を。

現在の国道39号線、石北峠越えの道は昭和32年10月に開通した。北見峠周りに比べ上川・網走両支庁間の距離は20キロ短縮されたことから昭和35年6月に国道39号線は層雲峡経由に変更され、そのため、北見峠越えの上川遠軽間は国道から道道上川遠軽線に格下げになった。
後道路の整備により、昭和45年上川〜上越間が国道273号、昭和50年上越から遠軽(佐呂間栄)間が国道333号になる。

また、中愛別〜上川間は、越路経由であったが、昭和39年に安足間経由の新道が開通し、旧道となった区間は、町道に格下げされた。後、昭和44年、愛別と上川両町にまたがっていることから、一般道道中愛別上川線に認定された。

今回は、この中愛別〜上川、ならびに上川から先の天幕方面等の旧道区間までを紹介する。

道道640号中愛別上川線〜上川橋 の区間 (このページ)

上川橋〜天幕(北見峠方面)、上川橋〜日東(層雲峡方面) の区間


日本研究社 発行年不明昭和20年代? 30万分の1

左上の道路と線路が交差する場所から越路、越路峠を抜ける留辺志部で分岐する道で、天幕方面が昔の国道である。

留辺志部から下に向かう道は層雲峡までの道で、この地図では石北峠は記載されていない。



愛別から国道39号線を北見方面へ。

中愛別の集落を過ぎ緩やかな右カーブで石狩川を中愛別橋を渡る手前に、道道640号中愛別上川線の分岐があるが、特に案内標識はなく、見落としやすい。中愛別橋から先の現在の国道区間は正面に大雪山が見えてきれいな景色なのである(1)。橋からの景色は石北本線の奥に大雪山(2)。

この道道640号中愛別上川線は囚人が作った北海道初期の道が起源のこの道はその当時、川を渡ることを嫌っていたことがよくわかる道なのである。

ちょうどこの道の分岐点に、道北バスのバス停があるのだが、その名も、国道分岐点(3)。これはいつ名付けられたかわからないが、旧道側がメイン道路であった名残ではないだろうか?
 



(1)



(2)



(3)



(4)



(5)



(6)


分岐した道はすぐ石北本線を踏切で渡る(4)。

踏切の名前は、ズバリ、上川中央線道路(5)。明治28年に国費支弁の仮定県道中央線となった(明治36年、道費による県道旭川根室線に格下〜明治40年には再び仮定県道中央線)。そんな古い名前の道がが踏切に刻まれているのである。

踏切を渡ると、道路は舗装のやや狭い道(6)で川沿いを進む。そして河原に出れるポイントもあり(7)。 

少し走ると、田んぼが広がる植民が入った地域で、道路は直線的でかつ盛土された2車線の快走路となる(8)。
しかし1キロも走らないうちに道路は砂利道となる(9)。盛土された道から砂利道への段差がいささか強引なのだ。

 



(7)



(8)



(9)



(10)



(11)



(12)


砂利道区間(10)は約1.5キロで、石狩川と崖の間の土地の狭い区間を走るわけだが、この付近が、旧道時代の面影を残している区間である。

砂利道が終わると道道223号愛山渓上川線との分岐点がある(11)。

この先直進すると、エチャナンケップ川沿いに進んで越路地区へ。道は2車線の快走路である。旭川紋別自動車道ができる前は、この区間は国道39号線の抜け道としてそれなりに通行量があったこの道だが、現在はひっそりとしている(12)。

エチャナンケップ川の支流の橋が、越路の民家が点在してる集落手前にあり、橋の建設年月日を見るとそれなりの年月がたっていた。(メモ紛失)。
越路集落の終わるあたりに、昭和56年に廃校になった越路小学校跡(16)、そこには町営バスの停留所がある(17)。

 



(15)



(16)



(17)



(18)



(19)



(20)



学校跡を過ぎると、いよいよ越路峠越えとなるが、峠は緩い。その手前、(18)の写真の右側の山の上の四角の建物はエスポワールの鐘である。

ゆるやかな坂を上ると、峠頂上に上川公園入口があり、公園には、北見(中央)道路開削の碑があり(19)、裏には
明治22年旭川−網走間 計画着工
明治23年伊香牛−北見峠間開削
明治25年補修工事終了

と記載されている。越路峠からは、公園内のエスポワールの鐘まではやや遠い。

公園から大雪連峰の景色は良い。また、道路からも走っていると山が見えて気持ち良い(20)。

峠を下ると、道道中愛別上川線は右折で上川市街に道が伸びているが、道なりに直進する。

直進すると、道路の付け替えがあって、そのまま進むと現在の国道39号線にぶつかるが、五差路を左折(21)。
五差路の右側2本が旧道かな?

この先は町道区間だが、ここは昭和30年代の旧国道区間である。
留辺志部川を上川橋で渡る。橋に名前は書かれていないが、地図等を見ると書かれているものが多い。町の名前そのものが橋の名前になっているわけであるから、歴史ある橋なのである。そしてこの道路が舗装された際に出来たであろう2車線幅のコンクリート舗装の橋は見るからに年代物である(22)。



(21)

 

(22)
 


この先道路は2股に分かれ、左折で北見峠方面、右折で層雲峡方面となる。


路面☆☆☆☆☆
景色★☆☆☆☆
2006年7月初旬走行

上川橋〜天幕(北見峠方面)、上川橋〜日東(層雲峡方面) の区間へ 
 



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