札幌と網走を結ぶ道路の歴史を少々。
札幌と網走を結ぶ道路は、中央道路、北見道路と呼ばれ、明治24年に北辺の警備、北見地方の開発のため、網走監獄の囚人をを使役者として多くの犠牲者を出して完成した。
特に網走〜上越間、現在の北見峠越えの約160キロを約9ヶ月で開削して211人の犠牲を出した。
その道も、開削後、国費による仮定県道中央線となっていたが、明治36年に旭川から名寄まで鉄道が通ったことで、この道路の利用者が激減し、道費による県道旭川根室線に格下げされた。しかし、道路の新規開削など続け、明治40年には再び江差〜喜茂別〜札幌〜網走間の仮定県道中央線になる。
大正7年に道路法が成立、北海道は開発途上ということで北海道道路令により大正9年、地方費道旭川根室線になる。昭和27年新道路法が制定で旭川網走間一般国道39号線になった。ただし現在の39号線の経路ではなく北見峠、旭峠経由でスタート。
今回紹介する道は、国道39号線の当麻の伊香牛付近から愛別市街までの旧道区間。
近年の道路地図を見ていたり、また当麻の道の駅から愛別方面に39号を走っていると、直線でずっと走ってきた道が、ググッと比布大橋の手前で曲がってしまう線形で不自然だなあ〜、カーブの手前に直線的に分岐する細い道が旧道なのかな?(1)、なんて思っていたんだよね。
で、この一世代前の地形図を見て、やっぱり旧道なのね〜と言った感じで走ってみました。
左の地形図でいうと、線路沿いの太線の道路ね。現在の国道39号線は石狩川を比布大橋で対岸に渡り、堤防を進むルートとなっている。
現在のルートになったのは、昭和36年に出来た道で、伊香牛と愛別、中愛別間は過去に遡ると明治31年、昭和10年にも大幅な路線変更が行われた。この件については以下レポート内にて一部紹介する。
国道39号を旭川方向から走ってきて伊香牛の駅を過ぎた先の左大カーブ地点に、直進する道がある(1)。上記の地形図を見ながら以下の写真を見ていくと判りやすいかと思います、
直進する道が旧道で、直進すると道はこんな感じ。一応2車線幅がある道で、丁度撮影していたら石北本線の普通列車が通り過ぎて行った(2)。
そしてすぐ踏切がある(3)。踏み切りは2車線幅は無いかな?。そしてこの踏切の名前は、なんと、「第1旭川根室線」名のである(4)。旧道名が踏切に記されていることで、この道がかつての主要道路であったことが証明されているのである。
ちなみに石北本線がこの区間開通した年月は、大正11年の秋。
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