前回のレポートにも書いた訪問では雨も降っていて、
全部の施設は見切れていないこともあり、再訪して宿泊をして見ました。
ただし、肝心の泊まった部屋の写真を撮り損ねてしまいました。


宿泊した編 その1

以前のレポートから読むことを推奨します。

2002年雨の7月に訪問、そのときは、北京芦別のスケールのでかさは堪能したのだけど、北の京 芦別 の全体像が掴めていなかったので、全部の施設、特徴的なホテル三十三間堂、ホテル五重の塔、所謂、宿泊棟には行かなかった。

ということで、2005年GWに宿泊してみました。
予約するのに宿泊日前日夜9時過ぎにかけたらフロント係が帰ってしまって、警備の人間しかいないので明日7時半以降にまた掛けてもらえるかな、という応対。まあ仕方がないので、翌日宿泊当日朝8時過ぎに電話。GWだけど素泊まりで予約OK。ただし、夜9時までにチェックインしてくださいとのこと。

夜8時半過ぎにホテルに到着なので、急いで北の京へ。

玄関には、歓迎 ○○様と沢山出ているが、私の名前は無い。その代わり学校名が沢山出ていたよ。
ここ芦別で中学生の全道バレーボール大会が行われているということで、ココが全ての学校の宿泊施設となっているということが判明。だから、受付をしている間、ジャージを着た学生が沢山うろうろしている。


翌日の朝は7時前に出発したい告げると、フロントがいないから前払いでお願いしますということで5千円ちょっと?(忘れたけど高くなかった)支払を済ませ、部屋の鍵を貰う。

またその際、いろいろな施設は、早朝からも見て周れるのか聞くと、前回見ていない十二支苑などは職員が来ないと外に出る鍵を開けないので見れませんとのこと。えええっ?それは残念だ。

まあ、気を取り直して部屋。部屋はホテル三十三間堂。


  
 

フロントから長い廊下をひたすら歩く。その廊下には天井には絵がはめ込まれており、所々に高さ50センチはある和人形が展示してある。途中にはロビーがあって、戦国大名の甲冑(もちろんレプリカ)が12体展示してある。楠木家、上杉家、徳川家、伊達家、真田家、武田家、源家、などなど。

そして写真に写っている机も動物の彫りがしてる立派なものだった。このような感じで、部屋に入る前にもう楽しいのだ。

で長い廊下をまた歩き出す。
私の部屋は、一番隅っこの突当たりの部屋だった。ここまで三十三間以上あるんじゃないでしょうか?
鍵を開けると、部屋は細長い洋間。ベットが2つ、そしてお世辞にも綺麗とはいえないソファー、そしてユニットバス。一般的なホテルのツインルームだね、でもやや広いかな?

和室を期待していただけに、ガッカリ。非常口案内図を見ていると、どうやら突当たりにある2部屋が狭目の間取りとなっていて、ここだけが、洋室なのかもしれない。まあ、GW当日いきなり電話して宿泊だからね。こんなものでしょう。

そして館内の案内冊子を見ていると、隠してあるように2枚重ねのページがあって、なんとなく透ける図が見えたので、出して見てみると、

じゃ〜ん。全体図だ。



 
今は無いものも書き込まれている。出来た当時の案内図でしょう、これは。
ジャンボプール、モノレールにて至北海道大観音、1Fお土産売店、喫茶モルチェ(スナック)なんかは、現在無い施設ね。

荷物を置いて、とりあえず大浴場へ。

前回同様、ギリシャ神殿大浴場。9時を回っての入浴なので、中学生たちは風呂にはいなかったけど、一般に宿泊している家族連れなんかがお風呂にいたね。お風呂の感じは2002年時と変化なし。

お風呂でマッタリした後、館内をちょっと散策。

前回のときあったゲームコーナーはゲームの種類も少なくなって、電源も入っておらず、且つ、あのロストワールドは、写真のようにゲーム機の墓場状態になっていた。ロストワールドの遺構が写っているのわかります?(2002年レポート参照)

広いロビーにはクラシックカーが1台、そして誰の肖像画なんでしょうか?そしてグランドピアノ弾かれる機会があるでしょうかね。ココも前と変わらず。

少し前にも書いたように、明日の朝は施錠のため館内施設で外にあるを見れない可能性もあるので、見に行ってみるも、暗くてダメ。だけど施設に通じるドアが開いているのを確認。

そしてロビー前の自販機群で買ったビールを、先ほど紹介した甲冑を眺めながら飲んでいい気分になったのだった。

部屋に戻り、明日は7時にはココを出るので、その前に探索しなくてはならない。6時前に起きるのに目覚ましをセットしよう…

目覚はベットについてない。じゃ、モーニングコール、コレは設定あったのかな?。携帯電話のアラーム機能があるのでそちら起きる。







 

朝起きてみると、快晴。眠いけど6時には行動開始。

右の写真は、部屋前から見える空知川。

上の館内図を見てもらいながらこの先を見ると解かりやすいかも。

部屋は三十三軒堂の一番隅っこだからココがスタート。

まず三十三間堂のロビー、甲冑のあるところまでやって来てホテル五重塔へ。渡り廊下には企業から寄贈された墨絵(レプリカ?)が展示。



 


  
 

渡り廊下の先で、直進が五重の塔とフロント方向への渡り廊下の分岐となる。案内の行灯が五重の塔チック、フロントまでの渡り廊下はやや狭いが、こちらにも壁に絵が掲げられているので飽きることは無い。

五重の塔の最上階10階は、展望台になっている。昨日の夜来てみたが、真っ暗で引き返したのだった。

ソファーがあり、訳のわからないお腹の出たおじさんのオブジェや、彫刻物がある。ソファーの陰には小さいキッチンもあり、昔ココに喫茶店として機能していた模様。だけどねえ〜、造る前から普通はわかると思うけどどう考えても赤字でしょうね。

エレベーターの階の案内には「茶室」と書かれている上から消してあるけど、剥がれかけている。で、その下に英語で「JAPANESE TEA ROOM 」って書いてあるほうは、消されていなかった。どのような施設だったのでしょうね。


  
 
そして階段でもう1段上に行くことができる。そこにも達磨や観音様みたいなのが沢山並べられている。そして、外に出ることが出来る。安全面で時間的にも普通は施錠されてそうなものだが…。外に出るとGWの早朝、寒い。


  
 

北側には丸い形の十二支苑、その向こうに大観音。東側には北の京の建物群を見下ろすことが出来る。

写真は。2枚を合成したものだけど、赤いドーム型の建物、屋根は味気ないけど、お祭り広場が広いのがよくわかる。

そういえばフロントにはお祭り広場で千昌夫歌謡ショーのあんないがあったよ。ここは、名の通った歌手なんかも来るんだよね。

お祭り広場と赤いドームの間にある望楼みたいなところが気になるけど、現在は使われていないようだ。

そして、廃止されたモノレールの駅舎、モノレールの線が観音様まで続いている。

南側は芦別市街を望むことが出来る。



 

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