北海道の幹線道路を走っていると、道端に交通安全に関する標語やオブジェがありますよね〜。 その中でもタイヤで出来たオブジェってなかなか大きくてよく作ったものだな〜って感心してしまいます。 ここではそのタイヤで出来た路傍にある物体、無名の芸術家が作ったタイヤ人形を、僕はタイヤ星人と呼んでいる。 タイヤ星人という言葉自体、2001年、私が写真をアップするまで「タイヤ星人」でググっても、「該当するページが見つかりませんでした」という状態でした。 ホームページで紹介する際、タイヤ人形と表現するよりは人形の頭にアンテナや赤色灯、人型ロボットの形をしていたため地球上の生き物とせず、タイヤ星人と呼ぶのが相応しいのでは?とタイヤ星人と命名しました。 このタイヤ星人も、年々数が減ってきているようです。このコーナーで紹介しているものでも、無くなったものもあります。 当サイトでは、タイヤ星人情報を募集しております。私一人での情報収集には限界があるので、ご存知の方は「所在地」を掲示板などにお寄せください。生存情報求む!!
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下記に載せる写真は、1968年(昭和43年)に札幌市の真駒内で行われた、北海道100年記念 北海道大博覧会の会場の国内タイヤメーカーの展示物である。(主催者の道新発行の非売品の記録本より) タイヤのクマ 『わあーデッカイナ』タイヤ50本で作った”タイヤのクマ”は道博の人気ものだった・目がキラリと光り、手が動くたびに笑いが自然とわき上がった。 が写真の下に書かれている。
タイヤ人形のメーカーといえば、フランスのミシュランが有名ですが、こちらは国内最大手企業の作ったもの。 経済高度成長期の中行われたこの博覧会。自動車の台数も増え、それによってタイヤも沢山作られ、また廃タイヤも沢山増えてきた頃、メーカ側でこのような人形を作っていたのです。 このユニークなタイヤのクマが、本に書かれているように人気ものであったとするならば、道内各地でこのクマを見た人たちが、地元に戻ってタイヤのクマを参照に、廃タイヤを利用して似たようなオブジェを作ろうと考えてもおかしくない話だと思いませんか。 そういうことで、道博を機会に、道内の道路沿いにタイヤ星人が幾つも作られたのではないでしょうか? 作られた後に道路の付替えや、タイヤ人形を支えていた骨組みやそのタイヤ自体が老朽化して取り壊されたりしてしまったたものも多いでしょう。おおよそ作られてから世紀も変わり30〜40年前後過ぎてしまった現存するタイヤ星人も、今後も減っていくのではないでしょうか?
この写真は2006年7月、国道39号の美幌町と北見市(端野町)の境界付近で見かけた光景です。たまたま通りかかった際に、タイヤの色を塗り替えていました。 おばさんは、ここのは小さいタイヤのヤツだけど、足寄には大きいタイヤ人形があるよ(私は確認済み)と教えてくれました。 このようなエピソードを踏まえると、30年ぶりというのは、憶測ですが製作時以来初めて色を塗りなおしているのではないでしょうか?。この件だけで結論を出すのは研究としては成り立たないのですが、1968年の道博を機に、形は違えどもタイヤで人形を作られていったので、北海道にはタイヤ星人が多いのだと、考えられます。 また、D-oneさんの北海道以外のタイヤ星人のレポートでは、東北地方北部の山間に存在することが確認されております。それを踏まえて北国に多いという結果から、かつてアイヌ文化のあった地域に準じていますので、交通安全に対して存在するタイヤ星人は崇拝される神様のような存在なのでしょうか?、というふうに考えもしたのですが、こちらの線は薄いです。 |