石川コレクション文化会館 / 石川消防記念会館

夕張市鹿ノ谷駅前には、嘗て 石川コレクション文化会館 と呼ばれた施設博物館があった。
これは元道義、石川十四夫氏(2005年6月死去)のコレクションである。

2000年、夕張を探訪した際に、札幌から夕張に向かう道道沿いには、「石川コレクション」と記された立て看板が幾つかあり、気になっていたが、このころは、まだ博物館、資料館、俗にいう珍スポット巡りはあまりしていなかったので、この時は訪問しなかった。

翌年2001年6月、前年気になっていたので、行ってみると、以前見られた、道路沿いの立て看板が無い。そして、鹿ノ谷駅の交差点にあった恐竜のオブジェも見当たらない…。
残念ながら閉館してしまったのだ。

訪問してすぐ、夕張の炭鉱住宅が並んでいた社光地区の再開発、その名も「「郷愁の丘ミュージアム計画」で出来る「生活歴史館」というミュージアムにて、石川コレクションで展示していたものを7月から展示公開するということを、ニュースか新聞で知ることとなったかと思う。もしかすると、すでに閉館していたことは知っていての訪問だったのかもしれないが、これ書いているのがすでに10年以上前のことなので記憶は飛んでいるのだ。

検索すると、2000年には、すでにこれらのコレクションを夕張市に寄付?したようだ。

訪問は2001年6月(デジカメでたくさん写真を撮るということをこの当時していないので写真が少ないし画素も悪い)。

左側には、歴史の年輪、 入ってびっくり、見てびっくり、日本のお宝、世界のお宝、珍しい恐竜の卵の数々、と入り口前には書かれている。踏切とSLの車輪、腕木の信号、郵便ポスト、消防車両などが野外展示したままになっていた。その向かいの公園?だか空地には、消防車両や救急車が7台と、何故かこの地域に小型漁船?が置いてあった。

中央写真の右手の建物の中を覗うと、中は棚だけがある状態だった。この建物は石川消防記念会館という名前だったらしい。検索しても何も出なかった。



鹿ノ谷駅

 

 
石川コレクション文化会館 
奥は石川消防記念会館


消防車や救急車は後に移動した

 
入口を入ると、売店(どのようなものが売られていたのか?)、トイレアンモナイトの絵があり軍服・軍隊用具など、時代物武具類、SLコーナー、2階の入口、昔の農機具、漁具、林業器具、昔の和室、アイヌ文化展示、銘石、古い時計蓄音機、外に出て、恐竜の化石、アンモナイト、恐竜卵の化石、翼竜の化石、三葉虫など そして外には盆栽園、2階には世界の昆虫、おもちゃ貝がら がある。

珍日本紀行(本)には紹介されているのでそちらで現役時代の様子はどうぞ。カオスな世界だったようだ。

石川消防記念会館には、笹川良一コーナーや消防に関する衣服等展示があった模様。


案内板見ると奥行きがあるのか? とにかく多種多様な展示




郷愁の丘ミュージアム 計画構想

  かつて炭鉱に働く労働者と、その家族が居住していた思い出深い地域、社光地区。ここにあった炭鉱住宅は老朽化が進んだこともあり、取り壊され、その跡地には、郷愁の丘 ミュージアムを作るられることに。

計画構想では、第一期工事として生活歴史館、第二期工事としてセンターハウス、キネマの歴史館、絵と写真でつづる夕張の歴史館、第三期工事として夕張花の押し花館、石炭ガラス工芸館、そして建物群の手前に駐車場、裏の敷地は、桜の木が描かれた花の丘、そしてその横には、300種に及ぶ昆虫の丘 が描かれている。 
 
国庫補助事業を調べると、2001〜2004年(H13〜16)で4億2300万、センターハウスに2002年(H14)で3億38000万、その後できた北の零年に2005年(H17)で3600万の国や夕張市のお金が使われております。

その計画この施設の有効性はあまり評価されないうちに2007年3月6日、夕張市は正式に財政再建団体に指定され、第三期工事は行われなかったわけで、借金が増えず良かったのか?。まあ、この事業自体評価されるものではないですが…。大義名分っていうことなのか?
造られた施設も売却したのか賃借しているのか現在ミュージアムとは違う事業となっている。

花の丘には、現在桜の木が植えられ、毎春には「ゆうばり桜祭り」が行われている。ちなみに今は「郷愁の丘」ではなく「夕張希望の丘」と名称が変更されている。
    

壮大な計画でだったが、財政再建団体に指定され
計画は第三期工事は行われなかった。




生活歴史館 (郷愁の丘ミュージアム)  

2001年7月、この生活歴史館は、郷愁の丘ミュージアム第一期計画でオープンした。しかし財政問題で、2009年にはちがう施設になる。

訪問時は、第二期工事が行われている工事等が終わっていない2002年6月訪問と、閉館間近の2006年10月訪問

ただこの施設、検索すると「昭和レトロ館」となっているところもあるが、生活歴史館が正しいはずだ。


この生活歴史館は、前出のもともと夕張市に存在した、石川コレクションにあったものが寄贈されて、ここで展示されているのだ。
入口には、生活歴史館の展示品を寄付した夕張市名誉市民 石川十四夫氏に対する敬意が書かれている。本当にすべて寄付なのだろうか?

館内に入ると、展示品が5つのテーマごとに綺麗に鎮座しいている。閉館間近の来館時は、館内の電気が消えていて、管理している方に明かりをつけてもらった。


第二期工事も行われていた外観

 
 

入り口に書かれている案内

 


天狗のお面や土器、
土偶は最近造られたもの、案内なし  


夕張に関する鉄道コレクション

 
 

夕張の化石

  
 

夕張や生活には関係ない?甲冑群
 
  
入ってすぐに、カメラや、時計、蓄音機の並んだ「今はむかし」コーナー。ここには何故か能面や天狗のお面、近年造られたであろう土偶などが展示してある。

その横の展示は、「コレクション広場」となっており、貝殻や、石、、化石、夕張に関する鉄道コレクション、そして玩具、帽子、あやしいデカい壺、甲冑や火縄銃、動物の剥製が並んでいる。とにかくジャンルは問わないわけで、これらが雑然と並んでいたであろう石川コレクションは、相当カオスな世界だったであろう。

「ゆうばりの財産」という展示では、財産っていってもなあ〜という、ひと世代前、昭和中期の冷蔵庫や箪笥、火鉢などの生活民具が展示してある。他の展示に比べると、どうでもいいか?と思わせる展示だったので撮影しないでしまったが、実は生活歴史館という名前は、ここからきているのでは?と考えると、写真がないのが悔やまれる。

奥に進み、特徴的な八角形の建物部分は、「火消しのいろいろ」という展示。ここの展示は、きっと石川消防記念会館にあったものが並んでいるのだろう。半纏、制服、消防服、頭にかぶるやつ、消火器、ホースの先、消火栓などなど。そして外には、引退したひと世代前の消防車や、その仲間が展示してある。廃車にしないで石川氏が引き取ったのかな?
まあ、この展示を寄付した石川十四夫氏は夕張では消防団長もしたことがある方で、そういう伝手でこれらのものが集まったのであろう。
 

甲冑や消防等の制服で
記念写真ができる
 

半纏、制服、消防服等、纏、消火器
ホースの先、消防で使う道具を展示
 

外部にはひと世代前の消防車たち
 
 
外に出ると、「やすらぎの広場」。そこには盆栽が並んでいる。
案内には、炭鉱長屋がずらりと続く空き地には、花畑や盆栽が丹精して育てられました。炭鉱の年中行事として展示会や品評会もひらかれ、芸術としての鑑賞価値が競われることもありました。、と書かれている。

ん〜。寄贈されたわけだけど手入れがあまりよろしくないようだった。盆栽が冬を超えるのは北海道では管理されていない限り難しい。2006年訪問時は、これらは存在していたかな?無かったような気がするが、撮影していないのでわからないけど、石川コレクションの存在を知らず盆栽を見ると、きっと何故ここに盆栽??となることは間違いなかったであろう。


私見…

石川氏は元道義で、叙位・叙勲・褒章受章していることがわかった。
わかったのはいいけども…どうも引っかかるものがあるね。


やすらぎの広場、盆栽群
手入れされない盆栽…やすらげる??

 

夕張では、街の発展にもつくしたであろう彼に、だれも逆らえなかったのでは?と考えると…??

もう年だから、コレクション引き取ってくれ、よし分かったよ、あなたから言われたらNOとはいえないしな〜仕方がない、いつものように国からの補助金受けて3セクで展示する方向で、みたいなやり取りがあったのでは??

もしくは、石川さんに大変お世話になった、コレクションの引き取り手を探していると聞いたからには、ぜひ夕張でそれらを生かしていきたい、そのためには3セクで…

みたいなことを考えてしまうのだ。これの施設を含む、郷愁の丘の計画は近年の夕張の赤字を生み出す原因だったことは間違いない。
夕張破綻後、ここに展示してあったコレクション類は、市有物としてYAHOOオークションに出品され、いくらか財政の足しにはなったようだが、この建物の元は取れていない結果であった。




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