道道305号 金八峠

紋別市と遠軽町(旧丸瀬布町)を結ぶ道道305号紋別丸瀬布線の山間部の金八峠は、急勾配、急カーブ、幅の狭い未舗装道路のため、大型車両は通年通行できず、また冬季通行止めになっていた。
2009年7月にこれらを解消するための山道区間を金八トンネル(延長1752m)でルート変更することによって、通年通行、大型車両の通行が可能になった。そして峠の道は閉鎖となった。

金八峠の由来は、こちらを参照

今回はすでに閉鎖になった狭路区間を紋別側鴻ノ舞から丸瀬布に向けて2005年に走ったときの状態を紹介する。

鴻ノ舞は金山で栄えた場所だが現在は鉱山跡とその廃墟が並ぶ。そこから丸瀬布側へ進むと、道道沿いに道路情報版が現れる(1、2、3)。訪問時は全線開通だが、2002年の冬季に訪問した際(3)は、上原峠で遠軽に向かう道しか通じていない(滝の上方面はこの時点では道路も通じていなかったが)。



(1)



(2)



(3)



(4)



(5)



(6)

 
上原峠へ向かう、道道137号との交差点前には、金八峠は10K砂利道だという旨の通行注意の案内板がある(4)。

約1.7キロ走ると滝上方向に向かう道道137号が分かれる(5)。この辺りは開拓も入ったが現在は無人の原野と化している。少し進んだところで、倒木の奥に民家を見ることが出来た(6)。

藻別川沿いのゆるやかな勾配の舗装路を進むと、3キロ強走ったところで、舗装路は砂利道となる(7)。砂利道とはいえ、道幅は広く、今後の舗装化を感じさせるのである(8)。2キロ弱走ると、道は左に曲がるように促される(9)。



(7)



(8)



(9)



(10)



(11)



(12)

 
(9)地点で、来た道を見たものが(10)、赤の≪≪後ろは、工事中(11)であった。現在は、この区間が完成し金八トンネルに続いている。

ここから、金八峠の旧道の始まりとなる。工事するため交差点を直角に直してある入口からは道が細くなる(12)。

大型車は通り抜けできません!!、脱輪

という警告が出ているが、この場所に入ったら、大型車も来た道を引き返すのは難儀するであろう。(12)の写真の(13)の警告板の後ろの白い工事看板の横から上鴻の舞林道が分岐するが、この道を改良?並行?して新しい道道は作られている。

すぐクランクの標識で川を渡り、大曲なカーブを過ぎると、見切りのあまり良くない小さな緩いカーブと、そうきつくない勾配で高度を稼いでいく(15)。
途中対向車も何台かすれ違う。道幅はある程度あるので、離合するにはあまり苦労はいらない(16)。



(13)



(14)



(15)



(16)



(17)



(18)

 
(16)のカーブを抜け進むと、丸瀬布町のカントリーサインが現れる。ここが金八峠のサミットとなる(17)。行政が変わった後は遠軽町のカントリーサインになったのであろうか?。

峠は、景色が眺望できるわけでもなく、分岐する廃道に近いような尾根沿いの林道が分岐している。駐車スペースが確保されているわけではないが、分岐点に車を止めていたら、軽自動車が抜いていく。道幅はこの辺りは広いのだ。カントリーサインが無ければ、いつの間にか下り坂になったなあという感じで走りぬけてしまいそうサミットなのだ。

峠の反対側には、紋別市のカントリーサインがある(18)。

丸瀬布側になり、道は下りとなる(19)。登ってきた道と雰囲気は変わらない下り坂となる(20、21)。



(19)



(20)



(21)



(22)



(23)



(24)

 
丸瀬布側には、この道では珍しいヘアピンカーブがある(22、23)。

下っていき、金湧川の谷を進んでいく(24)。対向車もそれなりに来る。

そしてその川を渡るところで(25)、(11)から繋がるトンネルの新道工事をしていた。といっても走行時は、土が盛ってあるだけだったが…(26)。現在はどうなっているのだろうか?

土盛の先でも金湧川を再度渡る(27)。橋と橋と間は250mくらいである。そしてここから先は、舗装路となる。

舗装路(28)をしばらく行くと、ゲートがあり(29)、その先には北見鉱山跡、それを抜けると国道333号、遠軽町丸瀬布金山である。



(25)



(26)



(27)

路面★★★☆☆
景色★★☆☆☆
2005年6月走行

参考ページ
ほぼ同時期の2005年7月反対側から走ったもの

道道紋別丸瀬布線(道道305号)金八峠(えのぺーじ)



(28)



(29)


こんなところ走りましたに戻る