楓駅に行ってみた!!
その2



 楓駅を折りたたみ自転車で出発。

 
 昔、楓その山奥の登川まで線路は伸びていたが、石勝線開通で新しく線路が付け替えられ登川までは廃止された。楓、登川には炭鉱があって石炭輸送で繁栄したが、昭和62年に閉山している。今回は、楓に残るその遺構を訪ねるのも兼ねている。

 まずは楓駅前の先ほどのバス亭(22)の時刻が気になるところだ。するとバスは1日6本あり、そのうち赤い枠のは日曜、祝日、第2第4土曜日運休、行き先の△は札幌行き急行バスに接続するダイヤであった(23)。ちなみに、清水沢は夕張市では人口が一番多い地域で、石炭歴史村はJR夕張駅がある場所である。

 JRが発車した7時2分から18分後にバスは出発(今日は遅れてきたけれどね)するのだから、この地域で清水沢、夕張駅方面に行くのであればバスを使うのは自然な成り行きとなるだろう。しかも6本もあり便利だし…。

 駅の扉をきちんと閉めていないことが発覚したため、また閉めに戻って再出発する。バス停を過ぎるとすぐ国道の旧道が分かれる(24)。バスもこちらを走るのだ。ここまででは触れていないが、楓の駅前には改良と書かれた住宅が何棟か並び(25)、郵便局まであるのだ。

 旧道の改良住宅の向かいには、つぶれた「夕張市民生活協同組合 登川3区店」がある(26)。その先には「楓炭山橋」と書かれた橋がある。その橋の向こうにはコンクリートのホッパー跡がある(27)。



(22)楓駅と駅前のバス停



(23)時刻表の拡大



(24)国道274号とその旧道



(25)新しい住宅が並ぶ



(26)市民生協も草に埋もれる



(27)楓炭山橋とホッパー跡

 橋の左横には北炭楓鉱発電所跡(事務所としても使われた)(28)がある。橋を渡り近づくが、現在は「石炭ガラス工芸館」という施設で、(30、33)に写っているドライブインの一連の施設であるが閉鎖されているみたいだ。

 また建物の横には「登川神社」がある。ここには楓坑坑口神社というのがあったらしいが、H3年に移ってきた。もちろん山神を祭っているのだが、神様も引越しするんだね。

 神社の裏には鶴亀橋(30)があり、橋の下には川は無く、山側には楓坑坑口(31)がある。今はコンクリートで蓋されているが、坑口からこの橋の下を通って昔の楓駅方面までトロッコが往来していた。

 さらに進むと、消防署の跡(現役かもしれません)(32)があり、その向かいには巨大ドライブイン福屋観光夕張店(33)がある。このドライブインは、当サイトで紹介しているかに神社のある長万部市場というドライブインと経営母体が同じなのである。



(28)北炭楓鉱発電所跡



(29)登川神社



(30)鶴亀橋



(31)鶴亀橋から見下ろす坑口



(32)現役かもしれない?消防署跡



(33)旧楓駅跡に巨大ドライブイン



(34)バス亭と旧道(来た道)



(35)商店跡が並ぶ(来た道)



(36)楓小学校跡地



(37)小学校跡地の横の路地

 旧道を進むと、炭鉱が現役のころはこの道の両側には民家などがあったのであろうが、今は建物が無い。(34)の写真ではドライブインとバス停の間に昔の楓駅はあった。

 そしてバス停が現れ、道は下り坂になる(35)。坂には店をたたんだ商店が何軒かあり、また楓小学校跡跡に「楓生活館」が建ち、記念碑と遊具(写真じゃちょっと判りづらい)がある(36)。楓小学校は明治40年2月に開校して昭和61年3月に閉校した。

 学校後の横には舗装された道があるので、ちょっと寄り道をする(37)。しかし学校跡の敷地を過ぎると雑草に道をを塞がれてしまい自転車は諦め、徒歩で先へ進むと道がさらに雑草で覆いつくされていた(38)。雑草を掻き分けると小川が流れていてさらに先に道が延びているが橋も無く渡れないので引き返す。写真の中央の雑草に左右に線になっているところが小川ね。この先に何があったのだろうと期待していたが、家に帰ってこの地域の古い地図が乗っている本を見てもこの先には何も存在していなかったらしい。

 小学校跡に戻り旧道を進むと道路は本来真っ直ぐだったのを曲げられている(39)。(35)付近から商店跡は続き、(39)の奥に見える赤い屋根の向こうが楓の集落である。現在の楓駅からは1キロ以上離れており、石勝線は集落を高架で抜けている。

 バス亭が集落にあるのに、あえてひらけていない楓駅まで出て鉄道に乗る人はまずいないであろう。



(38)雑草に道が溶け込む



(39)旧道「左」と旧旧道「右」



(40)集落の奥に廃橋と廃墟



(41)神社がある



(42)お寺もある



(43)特急「とかち」がやって来た

 集落は20戸くらいはあるので、人気はある。集落の奥にはから川を渡って行く廃墟が眠っている(40)。炭住だったのかな?橋がボロいので近寄らないほうが無難だね。

 楓の集落には神社(41)もあり、境内は草も刈ってあるので整備されている。山に沿って坂を上る道を進むとお寺があり(42)、お墓や炭鉱で亡くなった人々の殉職者慰霊碑がある。お寺の横は石勝線がよく見える。持参した時刻表を見ると特急がやってきそうなので、ここで買っておいたおにぎりを食べた。すると「とかち2号」札幌行きがやって来た(43)。坂を下り集落に戻り線路をくぐり、(39)の写真の旧旧道は橋が付け替えられたので存在しないみたいで旧道が現在の国道に戻る。

 線路はトンネルで新夕張へ行くのに対し、国道はここから紅葉山まではS字に蛇行する川を橋で渡りながら進む(44)。広くなった国道には歩道も整備されていたのでこちらを走り、自転車もスピードを出しと気持ちよいのだ。そんなこんなでブリヂストンのトランジットライトというこの自転車に、「ハヤカゼ」号という名前をつけてやる。自転車を漕ぐと風も気持ちよいのだ。やがて夕張川を渡り(45)セイコーマートが現れ、紅葉山の集落に到着した(46)。新夕張駅に着き、楓駅訪問の探検も終了なのである。



(44)久留喜橋からの眺め



(45)いつも濁っている夕張川を渡る



(46)紅葉山の集落に帰ってきた


 楓駅を訪問して、国道を走るバスがほぼ同時間帯に設定されているので、この駅の存在する価値は無いような気がした。お客さんの乗降をしないで列車交換をするだけならば維持管理するお金も、多少は減るだろうしね。
 もう楓駅は、駅としての使命を終えたといえよう。2003年1月現在、これからもこの駅を機能させ、朝1本の折り返し列車を走らせ続けるのであれば、それはJR北海道の趣味としかいえないのではないだろうか?。

そんな楓駅だったが、2004年(平成16年)3月13日 旅客営業廃止で、信号場となった。


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