旧道を進むと、炭鉱が現役のころはこの道の両側には民家などがあったのであろうが、今は建物が無い。(34)の写真ではドライブインとバス停の間に昔の楓駅はあった。
そしてバス停が現れ、道は下り坂になる(35)。坂には店をたたんだ商店が何軒かあり、また楓小学校跡跡に「楓生活館」が建ち、記念碑と遊具(写真じゃちょっと判りづらい)がある(36)。楓小学校は明治40年2月に開校して昭和61年3月に閉校した。
学校後の横には舗装された道があるので、ちょっと寄り道をする(37)。しかし学校跡の敷地を過ぎると雑草に道をを塞がれてしまい自転車は諦め、徒歩で先へ進むと道がさらに雑草で覆いつくされていた(38)。雑草を掻き分けると小川が流れていてさらに先に道が延びているが橋も無く渡れないので引き返す。写真の中央の雑草に左右に線になっているところが小川ね。この先に何があったのだろうと期待していたが、家に帰ってこの地域の古い地図が乗っている本を見てもこの先には何も存在していなかったらしい。
小学校跡に戻り旧道を進むと道路は本来真っ直ぐだったのを曲げられている(39)。(35)付近から商店跡は続き、(39)の奥に見える赤い屋根の向こうが楓の集落である。現在の楓駅からは1キロ以上離れており、石勝線は集落を高架で抜けている。
バス亭が集落にあるのに、あえてひらけていない楓駅まで出て鉄道に乗る人はまずいないであろう。 |