十勝上川森林鉄道 その1

東十勝地方、新得町屈足から十勝川最上流部まで、かつて森林鉄道が延びていた。

戦後の昭和25年に着工され、同27年に幹線区間48キロが完成。昭和33年までに支線を延長し、総延長約70キロまで達したが、自動車輸送に切替り、昭和41年には全面撤去された。(参照図書:鉄道廃線跡を歩く9)

今回は、この森林鉄道の廃線跡をレポートする。2007年6月訪問


屈足の中心からやや離れた場所に、かつての北海道拓殖鉄道の屈足駅があり、その北部に十勝上川森林鉄道の起点となる貯木場が広がっていた(1)。

現在この地点では、畑と貯木場となっている。また、すぐそばには、森林鉄道関連施設であったであろう施設が残っている(2、3)。

屈足集落横に貯木場があった模様。
森林鉄道が記載されている
手持ちの地形図はこれのみ












貯木場から出た線路は北上し、屈足小学校跡付近までは、用水路横に線路跡が残っている、写真は二十四号付近(4)。

小学校を過ぎ、線路跡は道道と交差するが、痕跡はない。


三十三号付近は現在1988年に完成した屈足ダム付近を通っていた線路跡はわからない。現在ダム湖横の道路になっているところがそうなのかもしれないが…(5)。

再び道道に戻り、パンケニコロベツ川を渡るところに、道道の西側に橋脚の跡と擁壁が残っている(6、7)。東側にも橋脚跡があるが、こちらは旧道のものであろう(8)。











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ペンケニコロベツ林道が合流する地点には、昭和51年に廃校になった、渋い造りの岩松小学校の校舎が残っている(9)。

このあたりから岩松発電所を過ぎ岩松ダムへ向かう区間は道道からは見えない区間。学校裏、発電所裏を進んでいた(10)。



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発電所を過ぎるとと岩松ダムがあるのだが、発電所とダム堤体上部まで標高差があるので、森林鉄道はカーブを作って距離を稼ぎ勾配を克服するため、直線的に勾配を作れる道路とは大きく離れた場所を進んでいる。

ちょうど訪問時、伐採が行われたおかげで線路跡の堤がよく見える(11、12)。

岩松ダムは、戦前の昭和14年着手、竣工は2年後の16年であり、森林鉄道が敷設されるだいぶ前から存在している。



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ダム堤体のあたりは、森林鉄道の遺構が分らないが、ダム湖の西側を進む道道に並行するところに、十勝上川森林鉄道のメインな遺構である岩松トンネル跡が道路横に残っている。

ここには説明板まで用意されている。76mのトンネルを機械力の乏しい時代に人力による手彫り作業が昼夜、厳寒期まで行われたこと、鉄道の歴史などが記載されている(14、15、16)。


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その2へ続く


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