国道39号旧道? 層雲峡温泉 続編

層雲峡隧道(層雲峡トンネル)

 

2007年10月、層雲峡隧道の東側の入口を確認した(右写真)が、後日西口の入口も存在することを知って、ちょうど1年後の翌2008年10月に訪問した。

奇しくも天気は2007年同様、あまり探索には向かない小雨模様であった。
 
 


西側トンネル入口は、層雲峡消防署構内にあるので、消防署に挨拶をし、消防署にあるトンネル跡を見たい旨を説明し若手署員の案内で見学となった。挨拶なく立入ればただの不審者とみなされるでしょう。

東側のように土砂に覆われることもなく、落葉した黄色い落葉で出来た道の先にポッカリと層雲峡隧道の黒い口があいていた。
当時の面影そのままの廃隧道の黒とと紅葉の黄色コントラストは雨降りながらもとても綺麗に見えた。



東側の入り口
 





トンネル入り口は、簡単な鉄格子で封鎖されており、坑門中央には、「層雲峡隧道」の立派な扁額が残っている。道と書かれた左側は字を書いた人の名前であろう。
この扁額の上には照明?のようなものも付いていた。





 

トンネル内を覗くと、コンクリート巻照明施設は無いようである。写真のトンネル内の闇にある白い点は写真の汚れではなく、反対側の崩れた入口から入る光である。

目を凝らして中を見ると、特に内部崩壊することなく、現在にいたっているようであるが、内部に立ち入るようなことは避けたほうが良いと思われる。

トンネル入口の右側の内部には銘板があるが、読みにくい。写真に撮影して家でよく見ようとしても完全に読み取れなかった。もっとしっかり写真撮影してあれば…

読み取れない部位、読み取っても自信がない部位に「?」をつけてみた。


層雲峡隧道

昭和27年8月 着工
昭和29年5月 竣功
延長 417.07米 ?
幅員 4米
有効高 4米
??所 5   
??待避所 1
施工者
??建設株式会社

旭川営林局


しばらく眺めた後、署員にお礼を言ってこの地から去った。  2008年10月訪問



現在の層雲峡温泉街を通っているルートの国道筋が元来からある道筋で、昭和3年に上川から層雲閣までの急坂曲折の道の車道が完成、昭和6年に閑院宮御成のため流星銀河の滝まで自動車道が延びた。

第二次世界大戦中、木材の運搬のため、上川からの道路に平行して層雲峡温泉方面に森林鉄道敷設工事が始まり戦後の昭和24年19キロの線路が完成したが、温泉以降の山間地帯開発にはトラックに依存するしかないので、平行する先に開削された急坂曲折の道を補うために林鉄は早くも29年には撤去され道路となった。

 
国有林林産物搬出のために林道計画が強化され、輸送の能率化を図る上から、木材搬出の為に貧弱な橋を渡って温泉街を通る道のバイパスとして、昭和27年、地獄谷と呼ばれる輸送路としては条件の悪い地形、層雲峡温泉街の対岸に延長417mの層雲峡隧道が着手され、29年に馬蹄型コンクリート巻直線隧道として工費8604万円で完成。奥地森林開発のための林道として扱われていたようで、国道ではないのかもしれないが、銀河の滝、大函方面を結ぶ観光バスも通った重要な道路であったことは確かだったはず。

この先にある大函の清和橋は林野庁建造である。


2010年6月googleで検索中に、このページを作った際には無かったオフォシャルなページがヒットしました。

よみがえった大雪山系の森林

北海道森林管理局 上川中部森林管理署 のPDF。これを見ると、洞爺丸台風による森林被害、そして森林鉄道の写真や、隧道について記載されております。

隧道は直線ではなく、緩やかなカーブを描いていて、かつ隧道内には退避所があたようです。





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