笹流ダム

笹流ダムは、函館市水道局が管理する水道専用ダムで、わが国最初の鉄筋コンクリート1923年(大正12年)12月に完成したバットレスダム(扶壁式ダム)として完成した水道用水ダムである。

昭和23年から24年にかけ、モルタル吹き付けによる風化防止工事を施工し、同58年にはダム完成後60年を経過し老朽化してきたため、堤体の安全性確保を目的とした全面的な改修工事を行い、旧堤体の風化部分を削り取り、新たなコンクリートで厚く仕上げて、昭和60年に当時の外観とは異なる現在の形になった。

ダムの周囲は、公園として整備されている。

バットレスダムは、日本に8つしかない形態のものである。

2004年10月訪問



土木学会選奨土木遺産



独特の景観



改修工事の石碑にある昔の写真 




王子製紙千歳川第一発電所

 千歳川(支笏湖)の水を利用して、王子製紙株式会社苫小牧工場に電力を供給するために明治43年5月28日に建設された。落差130Mの4つの送水管と調整池と発電機の入ったレンガ造りの建物が印象的である。最大25400kw。

 苫小牧工場に電力を供給をしているのは千歳川に大正5年から昭和16年までに造られた4つの発電所(kwは小さい)と、漁川の発電所、ニセコの尻別川の2つの発電所がある。そのため、ここ第一発電所の4つの導管を1度には使わないとのことである。
 道道117号恵庭岳公園線の国道453号とぶつかる交差点から3キロくらい走って直角カーブに小道があってそこから歩いていくと、この施設はある。サイクリングロード(この発電所を造るための鉄道跡)も完備されているので、自転車で訪れるのもよいかもしれない。

(左写真)取水口部より100年以上動いている送水管、発電所を眺める。
一部の写真は、発電所職員の許可を得て立ち入り禁止部位から撮影。

2001年7月訪問



  



取水口部後部
4つの水路に分かれる



透き通った綺麗な水
レンガ造の取水口



発電所建物には、
戦時の迷彩がそのまま残る




山線鉄橋 (湖畔橋)

 支笏湖湖畔温泉街近くの千歳川河口にかかる鉄橋は、明治22(1899)年、北海道官設鉄道上川線(現在の函館本線)の空知川(砂川―妹背牛間)にかかる道内最古の鉄橋「第一空知川橋梁(きょうりょう)」であった。英国式200フィートダブルワンレーントラス橋で呼ばれる当時の先端技術が使われた。

 札幌〜旭川間の列車重量の変化により、大正13(1924)年に王子製紙に払い下げられ、「湖畔橋」として現在の場所に移設され、千歳川沿いの発電所建設のために作られた苫小牧〜支笏湖間王子軽便鉄道(通称・山線)の鉄橋として使用された。
 山線は、発電所建設資材、製紙用原木輸送のみならず、千歳鉱山の金鉱石、時には旅行者の輸送をしたが、昭和26(1951)年に廃止された。

廃止後は歩道橋として観光客、地元の人に利用され、平成6(1994)年から解体修復再生工事を行い、平成9年に再登場した。

修復前の姿を知っている私としては、再生工事は橋の中にある欄干などはやり過ぎの感もある。家に残っている写真を見ると、25年前はアイボリーに塗られていた。

2002年9月訪問



整備された鉄橋



ピンがたくさん




王子製紙軽便鉄道(山線)の車両

苫小牧駅近くの王子アカシア公園の一角には、王子製紙軽便鉄道(山線)の車両が展示保存されている。
ここは元々、王子製紙の官舎があった場所である。

王子製紙が苫小牧の工場から支笏湖まで走らせていた軽便鉄道は、「山線」豊場で。1908年(明治41年)に千歳発電所を建設するために造られた。

展示している機関車は「山線」4号車で、1935年小樽市橋本鉄工所で製造された。
最高時速26.46キロ、牽引力90トン、総重量8,394キロ

貴賓車は、1922年(大正11年)に昭和天皇が皇太子時代に、発電所をご視察する際に客車を造り変えたもの。
重量5,500キロ

山線は1951年(昭和26年)に、廃線となった。この機関車と貴賓車だけが残り、東京の紙の博物館に展示されていたが、苫小牧市民の熱意で、この地に戻ってきたとのこと。

廃線跡は、ほぼ国道と平行するサイクリングロードとなって整備されている。

2008年10月訪問



公園の一角にある車両



1935年製蒸気機関車



貴賓車、中を見ることはできない




尻別川第一発電所

王子製紙株式会社苫小牧工場に電力を供給するため
、千歳川の発電所群と共に、苫小牧から離れた尻別川にも発電所が2つ作られた。そのうちの1つ。1921年7月大正(10年)に完成した煉瓦つくりの建物である。落差23m発電力6100wとなっている。煉瓦つくりだが、建物の色は色褪せた緑色をしている。これは戦時中の迷彩色の名残であろう。

現在は、売電している模様。

2011年6月訪問


羊蹄山をバックに、夕暮れで山陰になってしまった


緑色だが煉瓦の発電所



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