虻田町立火山科学館
 
洞爺湖温泉街のある虻田町は、2006年3月27日に洞爺村と合併して洞爺湖町となった。
その合併前にあった施設が、すぐそばにある有珠山の噴火による資料の展示をしている虻田町立火山科学館だ。主に1977年の大噴火による被害の展示をしていた。
のち、2008年この地域で北海道洞爺湖サミットが行われる前の2007年(平成19年)には、この施設は移転し新たに支笏洞爺国立公園洞爺湖ビジターセンター、洞爺湖町立火山科学館としてオープンしたので、この展示は一部そちらに移行していると思われる。。

2004年10月訪問

訪問して10年後にこの文章を書いている。はっきり覚えていないので不正確な報告となる。
2000年(平成12年)の噴火がおきてからの展示物は後付けに従来の展示の邪魔にならないところにあり、あまりなかったと記憶している。


虻田町立火山科学館正面


地殻変動で曲がったレール


虻田町町長公用車
 
火山がトレードマークの建物、正面入り口には、火山流で流れてきた岩を展示。2階が入り口となっていて中にはいると、2000年噴火の際に地殻変動で曲がったレールをが出迎えてくれる。そして灰にまみれ、噴石によりぼこぼこになっている1977年時の虻田町町公用車の黒塗りクラウンの展示。
1階が洞爺湖温泉のバスターミナルでもあるので、その奥には土産物屋さんもあったがこちらは寄らずじまい。
有料展示は3階だったかと記憶している。

3階に上がると、噴火によって灰まみれの車や、泥流に長された車、学校のピアノなどなどの展示。
2000年の噴火に関するものは写真パネルの展示と、地殻変動で捲りあがったアスファルト舗装で、噴火の威力を見て取ることができた。
そしてシアター室では、音響と記録映像でその様子を知ることができる。そこにある有珠山の噴火模型は、1977年のものを示しているようだが、スケールが違うのである。
写真にはないが、日本中の火山の写真展示や、火山の石などが展示してあった。

屋上からは2000年噴火した金毘羅火口跡を見ることができる。


灰まみれの車、背景はペイントだった


2000年噴火の展示


シアター内のモニターと模型






北海道洞爺湖サミット記念館
 
2008年7月7日〜9日、この地域のウィンザーホテル洞爺で、経済のほか、地球環境、アフリカ開発、政治問題等を主要議題として、G8首脳による議論、北海道洞爺湖サミットが行われた。

たった3日間だが、国を挙げての一大イベントだったが、終わってしまうと残念ながらそんなことやりました?、あ〜やりましたよね、といった感じになってしまっている。サミットが行われたここ洞爺湖町では、その洞爺湖サミットを記念して、洞爺湖観光情報センター内に北海道洞爺湖サミット記念館を作り、サミットで使われたテーブルや椅子、首脳たち、ファーストレディーの写真、などが展示してある。
2011年6月訪問

元々は、この鉄筋コンクリート地下2階地上4階延べ8、800平方メートルの建物は、1969年(昭和44年)、民間の温泉レジャー施設として開業、のち閉鎖後に旧虻田町が取得で57年に、手狭だった火山科学館を移転し、虻田町立火山科学館となった。
その後2007年に火山科学館は移転した。施設移転で耐震補強工事、改修工事を行い、洞爺湖サミット中は日本政府の現地本部として活用された。(室蘭民報をwebより)



北海道洞爺湖サミット記念館


G8の円卓会議テーブル


ファーストレディーin洞爺湖
 
建物の入口は2階。そこは観光協会の施設となっている。3階に上がる階段のところから有料施設となる。
3階に上がると、サミット開催までの流れがパネル展示してある。だがそんなところはスルーしてサミット参加した首脳たちの巨大集合写真があり撮影ポイントとなっている。とにかく撮影して楽しんでもらえるようになっているのが楽しい。
そしてこの展示のメインはG8の円卓会議テーブルと風神雷神のレプリカ屏風。1脚だけは座ることができる。ここも撮影ポイント。
ファーストレディーin洞爺湖では、ファーストレディーの真ん中に十二単の素晴らしい顔ハメがある。ここも撮影ポイント。
tアウトリーチ国を含めた会議に使われたテーブルは長く、座ることもできる。
そして一番は、会見で使われた演台があり、ここも撮影ポイント。ホントに撮影ポイントだらけなのである。



会議に使用されたテーブル


演台は記念写真スポット


エコゾーン 環境に関する情報

サミットで使われた展示のほか、エコゾーンでは環境に関する情報を発信している。またサッポロビールのサミット関連で使われたサミットまであと○○日の媒体や、駅名版もある。




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