紫雲台孝子堂宝物館

札幌の南側に位置する恵庭市。そこには謎に包まれた宝物館がある。
2004年10月に訪問。

2004年は、まだインターネットが普及してまだ日が浅く、紫雲台孝子堂宝物館について検索しても、情報がほとんどないという状態で訪
問した。場所がはっきりわからないので、恵庭市の交番に聞きに行ってみると、交番勤務の巡査も知らないという返事。観光ドライブ行くならば支笏湖にでも行ったほうがいいんでないかい?と言われてしまいまったのである。

おおよそ検討していた場所付近で暫し迷うと、道路に「孝子堂宝物館→」という案内を発見し進み、茂漁川沿いに紫雲台孝子堂宝物館にたどり着いた。



 


 


 



門柱があり入ってくと、一昔ふた昔の児童公園のような広場、二宮金次郎像がある。

建物まで行くと、1階がレンガに鉄格子、2階が残念ながら開いていなかった。
訪問時がどうだったかわからないが、2015年現在、電話予約して内部を見ることが出来るようだ。

見学できなかった内部は、
孝子堂宝物館、 個人が収集した仏像や槍や鞍など展示しており、仏像が多いのはここは寺院でもあるためのようだ。







福島町青函トンネル記念館(現在)

道立の施設は不採算な施設のため2002年10月31日閉館し取り壊されたが、福島町がその跡地に町立の記念館として青函トンネルをイメージした外観に新築して2005年4月23日にオープンした。

旧館内には残念ながら入れなかったので内部の比較はできないのだが、旧館の外に展示していた人車等が一部無くなった模様。

館内に入ると、旧館正面の外に展示してあったボーリングマシンが置いてある。その周囲には、元祖トンネル羊羹、トンネルようかんなど味ワイのあるパッケージングの福島町土産などが売っている。



外観は青函トンネルをイメージ



トンネルのボーリングマシン


館内の展示、竜飛岬と比べやや物足りないか??



何故かセグウェイの展示

 
入場料を払い展示スペースへ。
トンネル工事の過程を示した青函トンネル物語、トンネルを通る車両鉄道模型、走行映像等が見られる。子供向けのぬり絵コーナーなどがある。シアタールームでは、工事の様子の映像を映写している。

旧館がどのような施設だったか判らないが、同じ名前の施設が青森県側もあり訪問したが、展示方法は違うものの、展示内容は同党の内容であった。

福島町青函トンネル記念館前のバス停待合所は、この建物をイメージした形であった。

2006年5月訪問



正面のバス停の待合所




道立青函トンネル記念館(閉館)

横綱の里松前郡福島町。全長53.9km青函トンネル、世紀の大工事の際、先進導坑が福島町に掘られ北海道側の工事の基地として賑わった。

青函トンネルは1961年から福島町で工事が始まり、83年先進導坑が完成、85年本坑開通、88年営業開始となった。この記念館は、トンネルの先進導坑が開通するかなり前の1973年10月に道立の施設としてオープンした。これは、世界一の海底トンネル掘削という国家プロジェクトをパネルや模型等で展示、公開することが目的であった。

館内は、青函トンネルに関連する資料や、実際使用した機器類の開設展示や。実物大模型を使ってトンネル工事の最前線を再現されていた。

平成14年10月31日で北海道の財政難により閉館した。そんなことも知らずに閉館した2日後の11月2日連休を使って訪問したのだった。2005年に町営の施設として新築されリニューアル予定、また同名の施設が青森県側の龍飛崎にもある。




入口




掘削マシーンと展示館




雨ざらしの人車





青函連絡船記念館 「摩周丸」

1988年(昭和63年)3月13日の青函トンネルの開通に伴い、青森と函館を結んでいた国鉄(JR)の青函航路は廃止された。
その青函航路で活躍していた摩周丸は、現在の函館駅近くの桟橋跡に係留展示されている。

といっても、この摩周丸すべてを見ることはできず、2階の入口から入り、3階4階の一部のみの展示、となっている。言い方が悪いが、ただ単に船を利用して、青函連絡船の模型や、使用されていた備品や青函連絡船の歩みなどが展示されているのが現状である。正直、当時の連絡船の客室の雰囲気が感じられるスペースがないのが残念である。

ただし、青函連絡船に乗っていた時には見らえない広い操舵室に入ることができる。
 

 

 


その後の出来事として、2011年には機械遺産に認定された。

また、函館のビューースポットとして知られる八幡坂上では、正面に見える摩周丸がとても絵になる。

2006年5月訪問
 

 




スペースカリヨン

美しき唄のまち、美唄。かつては炭鉱で栄え人口9万人を誇ったこの街も、2011年現在で2万6千人となってしまった。

その街の東側山の斜面には、サクラとツツジの名所である東明公園がある。

そこにはスペースカリヨンという名の塔がそびえている。

訪問時は、2006年(平成18年)の11月初旬、
スペースカリオンを見に東明公園に行ってみると、入口にはゲートが設置されおり、

熊出没注意 立入禁止

と残念な状態になっていたため、近づくことはできなかった。そのため遠くから眺めるだけとした。

どういう施設、ネットで検索してもあまり写真すら出ない結果に。

 

美唄市ホームページ等をを参考にすると、

これは美唄市開基100周年を記念して、平成元年11月に完成したもので、全高27m(展望台18m)、円形部分の直径10m、オランダ製の24個の鐘で7時〜21時まで1時間ごとに1日15回季節に合わせた曲を自動演奏しているとのこと。
また100周年記念ということで最上階まで螺旋階段で100段で登る展望台となっている。5/1〜10/31は冬期間閉鎖みたいだけど、はたして真相はあまり定かではない。

これを建てた時代からすると、バブルの塔ですな。バブル遺産に認定しましょう。



熊が出たので一帯が立入禁止



現在は中に入れるのか?












石北峠 アイヌ宝館

さわやかな香りと光そよぐ街 北見市、北緯43度 北海道の東に位置するオホーツク圏の産業・文化の中核都市と謳っているこの街の西端、旧留辺蘂町石北峠山頂。

ここにはひと昔の雰囲気そのまま、ノスタルジックな峠の茶屋的な売店が並んでいる。

 

ネタになるものはないかと営業している3店を物色、上の写真でアンモナイトと書かれた横の建物に、アイヌ宝館 入口と書かれた気になるスポットが…。

アイヌと宝館の間には一文字消した跡があり、丁度影で□に見える。コレってもしかして…。

マル秘な宝館?????。
入場料大人300円と書かれている。早速入館してみたいのだが、店員(おばちゃん)がいない。

しかも写真の左側のところに熊の剥製が置いてあって、撮影代100円なんて書かれている(だから写真はない)。

暫し、外の銘石や、木彫りの壁掛けなどを見ていると、何処からともなくおばちゃん登場。

こんにちは〜宝館の中、見たいのですけど…。って聞くと、あ、いいよ。お金要らないって。

中に入ると、アイヌ宝館の名の通り、アイヌ民族の衣装や生活道具がある。しかしそれは半分くらいで、後は、水晶玉、銘石、鉱物やら、鹿の角、そしてアンモナイト等の沢山の化石が所狭しと並んでいる。その数は500点?くらい(500点展示って書いてあったから)。そしてそれら物には値札が張ってあるのだ。

宝館って、珍品を展示販売しているだけなのね〜。しかも、最低でも2、3万円以上のものばかりで峠で休憩してフラフラ〜と買えるものではないのだ。もしかすると100万円の値を越えていたものもあるかもしれません。

昔は「ムフフ」なものがあったのかもしれないけど…マル秘な宝館じゃなかったですよ。

見ていると、何処から来たのとか、何処行くの?とか、この石は珍しいものだよ、コレ幾らだけど買ってくれたらまけてあげるよ、など横でおばちゃんはしつこく話しかけてくるのだが、何故かうるさい感じがしないのだ。珍品を見ながら見ながらお店に売っているものが年にどれくらい売れて、お店として成り立っているのか心配になってくる。そんな心配が僕の顔に出ていたかどうかわからないが、おばちゃんが一言。

「ここにあるような化石は、デパートの北海道物産展で巡って販売しているんだ。」と、どこぞやの大都市の北海道物産展のチラシを見せてくれた。
石北峠の売店だけじゃなく、日本各地で販売しているんだよ。まあ、そこで楽しみに買いに来る人もいるわけでしょうね。

宝館から外に出ても、おばちゃんの話は続く。外に売っているものの説明が…。石英綺麗でしょ〜とかね。十勝石はなかなか手に入らないとか…。

おばちゃんの話では、北海道は化石が良く見つかると言う。現に売っている化石は羽幌、穂別等の道内産ばかりである。ちなみにアンモナイトの小さいものは比較的安価で買うことが出来る。鉱物も銀鉱石など頭大の大きさのものが5〜10万円?と高いのだか安いのだか判らない価格で並んでいる。

また、おばちゃんは、お店を開けるときは留辺蘂の町からここまでやってくるのだそうだ。

かなりフレンドリーな感じになったので、おばちゃんと写真撮りたいですって言ったら、それはダメ!!。私はそのお願いだけはどんなライダーでも何十年も断ってきたんだ。だからダメ〜って言われちゃいました。

ちょっと寄るつもりが、30分くらいいたでしょうか?

せっかくこんなにお話したのに何も買わないのもねえ。

記念に、安いけど、昭和に作られたであろう熊のキーホルダー買ってお店を出た。

2006年7月訪問

 

2007年8月28日正午を回った頃、石北峠頂上の売店付近から出火し、計6店舗が入った建物、約520平方メートルを全焼したほか、売店周辺の草木など約470平方メートルが延焼した。6店のうち3軒は空き店舗で、建物は財団法人・林野弘済会の所有。 全焼した建物は、1974年に建てられたということのようです。

全焼してしまい、化石等の品はどうなってしまったのか心配です。




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