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利尻・礼文・サロベツ国立公園の湿原や最北の温泉街で有名な豊富町の山間部に、日曹炭鉱は存在していた。 ここに炭鉱があったことは、現在の道路地図にも日曹という北海道っぽくない地名が刻まれていることから知ることが出来るが、作者はたまたま豊富温泉へのドライブの途中にここを通ったときにここの存在に気付いた次第だった。 日本曹達株式会社の傍系の日曹鉱業株式会社が、昭和11年5月27日に資本金5000万円を投じて開鉱した。当時北海道は冷害凶作のため、炭鉱に働きに行く人も増えていくが、交通機関が未開発のため、採炭しても冬季は搬出することが出来ず、また豊富市街から山間に入るため食料運搬も厳しかった。昭和13年、これを解決するため、豊富と日曹間16,7キロに炭鉱専用鉄道(日曹炭鉱天塩砿業所専用線)を作りはじめ、2年後の15年2月に開通した。 戦時中は、朝鮮人のタコ部屋労働で主に採炭をしており、昭和16〜19年度の坑員は170〜300人程であった。戦後石炭ブームに伴い炭鉱規模も拡大、炭住が増えたが、低位品質炭の生産、原価引き下げにより赤字が累積して合理化を重ねたが、昭和42年の坑内自然発火、46年後半からの石炭の需要の減少により昭和47年7月に閉山した。
(1)「豊富町日曹炭鉱(株)跡地之碑」が、学校もあった炭鉱街中心部本町にある。ここから東に向かって遺構を紹介していく。 |