冬窓床ってなんて読むのさ〜?釧路町難読地名巡り
その3


難読地名巡りもこのページでおしまい。驚きは続くんだよね〜。

     とまちせ
15.十町瀬
エゾエンゴサクが
広く群生している
ところ
 13.跡永賀とこの十町瀬の間は、昔は砂浜に道があったらしいが、依然道道は丘陵の上を走る。



十町瀬の道標があるが…



進入したら最後?

 
 道標があるが、十町瀬の海岸線へ下りる道は、「え〜?本当に?」って道である。今までの道の中で一番酷い。

 写真の通り、とても心細い道でもあり、雨も降りそうなこと、また、なにより車で入っていって万が一、対向車が来た場合、すれ違いが出来ずバックして戻ってこなくてはならなかったら大変なので、この道を走るのを断念した。はたしてここには人が住んでいるのでしょうかね?そして、道標を必要とするのだろうかね?

 海岸線はタコ岩、トド岩と名づけられた奇岩の続くようで、一応釧路町の観光スポットでもあるんだけれどもね…。釧路町のタコ踊りは昭和49年に作られ、その時のレコード表紙にこのタコ岩の写 真が使われたという旨が案内板に書かれていたが、そんなマイナーな話載せても…って感じなんですが。


     きとうし
16.来止臥
きと(祈祷)びるの
群生しているところ

 「きとびる」とは、行者にんにくのことね。
 来止臥には、町営の無料野営場(キャンプ場)があるので、ここはある程度道も整備されて、それなりの集落もあるのかな〜なんて思って車を走らせていたのだが…。

 野営場の案内板があり曲がると、その予想はあっさりと外れボコボコのダート道だった。真ん中の写真のような大きな水溜りもあるしね。

 
 ちょっと走ると、道が分かれている。野営場は左と書かれているので、行ってみると8月というのに誰もいない。まあ天気も悪いし、そういうものなのかな?。それから、右下写真の左側笹薮の先は崖でその下は海で、風が強かったね。ここで暫し、うたた寝をした後、引き返し分岐の右側を行く。
 道は険しく、下っていくとそこには、冬窓床で見たような鉄枠がありその中に籠がついているし、滑車にロープがついている。現役かどうかは判らないが、これはもうロープウェーでしょう。さらに70Mくらい下っていくと車が2台止まっていた。不法投棄された車かと思ったけれども、ちゃんとナンバーも付いているし、汚くない。ここで道は冬窓床同様、人の歩く道しかないので、ここに生活をして車を止め、左下の写真の海岸部の建物に人が住んでいるか、魚を獲りに来ているのか?。これはちょっと凄いことだぞ…。
 ところで、自分の車をUターンさせるのは写真ではわかりづらいがちょっと大変で、車の底を擦ったよ。



来止臥野営場入口の案内板



分岐、左が野営場



夏なのに静寂なキャンプ場



冬窓床のような鉄の枠組



行止りに車が2台



冬窓床同様、歩道が海岸へ

    ぽろない
17.幌内
奥深い沢の川

 幌内という地名は、道内では何箇所か在る地名であり、難読地名エリアではハッキリ言って地味な地名である。
 ここも、14.浦雲泊同様、集落の入口に小学校のスクールバスの待合小屋がある。集落に向かって走っていくと、対向車が来て怪訝な目で見られた(笑)。

 このあたりの道道沿いには、丘の上だが昆布を干すための砂利を敷き詰めたスペースが見られる。



道道は対向車は殆ど無い



集落は結構広い



地名由来の沢沿いの集落

     ふしこ
18.伏古
古い村
 伏古は、古文書に名前が出てこない地名で、古い村はコンブムイ(昆布森)を示していると思われる。昭和30年頃から海岸浸蝕によって、昭和53年に昆布森市街に集落移転したので、ほんとうの意味の元の村になるってことになった。



札幌?(札幌にもある地名)



集落は広域に点在していた
 そういうことで、フクロウ案内板も無くなってしまったのか?この柱だけの物は、急カーブにあり、この状態なので目立たない。っていうかこんな柱を撮影する人は少ないでしょう。

    こんぶもり
19.昆布森
昆布の浦
 道道は、伏古の辺りから丘陵地帯から坂を下ってきて海岸部と同じくらいになると、昆布森の大集落が始まる。集落部分はスピード40キロ制限である。
 昆布森の名前のアイヌ語由来が、字のままであるのがユニークである。
 また、今はない地名として、
チョロベツ マガモが降りる川の意。昆布森市街を流れている川を指す。川の表記はチョロベツ川である。ベツがアイヌ語で川の意味だから、チョロ川でいいような…。



大集落の昆布森、港もデカイ

   あっちょろべつ
20.嬰寄別
楡の皮を
漬けておく川

 昆布森の集落を過ぎるとまた丘の上を走ることになる。道道はT字路となり左に進むと、城山と書かれた道標が現れる。分岐の木陰に目立たないように、またまた読めない「嬰寄別」のフクロウの案内板がある。

 嬰寄別は、現在城山と呼ばれている。これは、松浦武四郎の「蝦夷日誌」で城跡や、烽火場などがあったことからで、またこの名前になったのは戦時中らしい。それからこの近辺では、あまり楡の木を見ることはない。
 訪問時、道道の付け替え工事をしていたが右下の写真を見てもらうと、本当に必要なのかな〜?。ちなみに左は工事中の道道、真ん中が今の十分走りやすい道道、左の黄緑のカーブが旧道である。



この辺りの道道は黄色いライン付



昆布干し場と集落



3つの新旧の道

   しゅくとくない
21.宿徳内
エゾネギの群生している沢
 エゾネギは行者にんにくのことで、16.来止臥と同じような地名の意味でも、全然名前が違うのであるのは、地名解釈の苦しいところなのか?。
 道道は内陸を進むが、海岸線方向に向かうダート道の途中を左折すると最近整備されたと思われる舗装された道(案内板の裏に見える道)で、進むと宿徳内の集落がある。
 この辺りで雨が本降りになりだした。



昔はここにエゾネギが…

    またいとき
22.又飯時
海の瀬の荒い所
 嬰寄別辺りから、雨が降り出してきたのだが、宿徳内を訪問している頃から激しい雨になる。又飯時の撮影は、雨が激しく車の中から行ったため、フクロウの案内板の写真には車の窓に付いた水滴が写ってしまった。



ライトの反射が雨の強さを示す



集落は海岸線に沿っていた
 
 上記の海岸線方向のダート道にも行ってみたかったが、又飯時に行くことを優先する。ダート道を行けばたぶん古い地名で地嵐別(ちゃらしべつ) 水が岩の面をちらばって流れ落ちる川の意、という場所に行ったのではないだろうか?
 又飯時沖は名前の由来通り、過去に数隻の座礁遭難船があり犠牲者を出している。また、釧路市から厚岸までの陸路で、ここで昼食を取ったため名づけられたという説もちょびっとだけある。
 この又飯時で、難読地名巡りも終りである。まだこの辺り(釧路町、厚岸町)にはまだ変わった名前の地名があるが、それはカタカナ表記であり、例をあげると、ポンルークシュポー、ルークシュポール、サンタクンベなどである。


 それから地図の23の地名が表記されていないけれども、これは難読地名ではなく?、釧路町役場がある別保(べっぽ)である。国道沿いには役場があるけれどもそんなに開けてないけれどね…、たしかコンビニが駅前に1件しかないよ〜。といいつつ、線路裏はかつて炭鉱があったので街としてこちらが開けているよ。

どうでしたか?ここに行ってみたくなりましたか?

冬窓床ってなんて読むのさ〜?釧路町難読地名巡りTOPに戻る
冬窓床ってなんて読むのさ〜?釧路町難読地名巡りその2に戻る
北海道珍紀行に戻る