ニシンで、御殿が建つほど儲かったのは、ニシンが多量に獲れた時代で、ニシンが食用としてよりも農作物用の肥料として重宝されたからである。
食用としては、身欠き、数の子、白子などで、数の子は今もそうだが高価商品であった。
ニシン粕による肥料が漁獲高の80%を占めている時代もあったのだ。大がまでゆであげその後、水分と油分を搾り取った果てに残るものが肥料用のニシン粕であり、ニシン粕は、干鰯よりも良質とされニシン粕が空前のヒット商品となっていた。
ニシン漁末期の昭和の戦時、戦後には、ニシンが食料として、そして一部は鮮魚として扱われるようになった。
ニシン漁は松前藩のあった江戸時代から始まっており、明治、大正時代に漁業の近代化が進み漁師の数も増え漁獲高が一気に上がったが、昭和30年、漁獲高が皆無になり(全く捕れないと言うわけではない)、沿岸部よりニシン漁は消えていった。
ニシン漁、建築物についてはこちらのサイト、本を参考としました。
余市宇宙記念館ホームページ>余市町見て歩き
NPO法人 小樽 歴史文化研究所>後志鰊街道
鰊 失われた群来の記録 高橋明雄 著
北海道産業遺跡の旅 堀淳一 著
道南・道央の建築探訪
小樽の建築探訪
旭川と道北の建築探訪 5冊とも北海道新聞社
角川地名大辞典 北海道 :角川書店 |