地形図を集めてそれを見て、ニヤリとするのが楽しい。昭和中期の物は今とは異なるものが多く、ま、とにかく楽しいのです。
そんな地形図の喜茂別辺りの旧図を見ていたら、
ん?、そんなところに線路??
喜茂別の駅からなにやら知らない鉄道線が東に延びているのではありませんか。知らないよ〜。
ちなみに地形図は、地理調査所 昭和31年11月発行、5万分の1、留寿都である。
国鉄胆振線って喜茂別から分岐する線路ってありましたっけ?
京極からは脇方鉱山までの線路があったことは知っていたけど、これってなんでしょうね?
この続きは…と、同時に手に入れたとなりの地形図、昭和22年1月発行の荘渓珠(双葉)を見ると、残念ながらこちらには古くてなにも記載されていないのね。
もしかすると、戦後の地理調査所の同時期のものであれば線路跡、そして線路の先にあるものがしっかり記載されているかもしれませんが…。
この線は何なのか?ということで、国土情報ウェブマッピングシステムで航空写真を確認すると、何枚か見ていると線路跡みたいなものがわかるのだ。
札幌から中山峠を越えて降りてきたところに国鉄胆振線ではない線路跡があったとは知らなかったよ。
これに気づいたのが2007年の夏。北海道旅行がてら、中山峠越えの際に
って、ことで、とりあえず調べてみた。
これはかつて喜茂別町にあった上喜茂別鉱山へ続く専用線の表記なのだけど、表記は国有鉄道で地形図に反映されてしまったわけ。
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