噴火湾沿いの豊浦と長万部間は、断崖の迫った海岸線が続く。そのため国道37号線は海岸線を避け内陸を峠で越えるようになっている。 しかし大岸と礼文間は、昭和40年代まで断崖の続く海岸線を室蘭本線と共に狭い曲がりくねった国道として存在していた。 現在は道道608号線として整備され,、かなり改良された道であるが、過去の面影を残している。今回はJR大岸駅から礼文駅間の室蘭本線旧線沿いを紹介する。このドライブは北海道在住時最後であった。
大岸駅前(1,2)から直線区間を室蘭本線と平走し、1キロほどで線路をくぐり(3)海岸側にでる。 キャンプ場が砂浜にあり、その先には真ん中に真新しいトンネル、海側に小さい断面の旧道のトンネル、山側に線路のトンネルが3つ並んでいる(4)。トンネル名はカムイチャシで、トンネルをくぐったところに階段がありトンネルの上のチャシ跡に行くことが出来るらしい。 すぐまたチャストンネルがあるが、旧道跡はトンネルではない(5)。
これらの新しいトンネルならびにこの区間の道路は、旧室蘭本線の走っていた場所を利用している。平行する室蘭本線の車窓から見た過去の記憶だと、10年前くらいは、まだ道路は海岸沿いの細い道であったような気がする(廃線跡のトンネルもあったような気もする)。 (5)のトンネルを抜けると、そこには旧線路のトンネルが見える(6)。この地点の横には、豊浦町文学碑公園がある(7)。文学碑は与謝野寛・晶子の歌碑、斎藤茂吉の歌碑、伊藤整随筆碑がある。また、現在の室蘭本線である長輪線についてと書かれた旧国道現国道、旧線新線路の地図入り説明板もある。
公園を過ぎると道は狭くなり(8)、崖にへばりつくような道となる。山側に落石防止のネットがしてあり、海側には一部だけガードレールがあり、怪しげで危険な感じがする(9)。(9)のやや左側の標識は矢印が直角に曲がるマークだった。そして道はほぼ直角に曲がり(10)、奇岩がある入り組んだ海岸線に沿って走る。 そして(6)で見た廃線トンネルの出口が現れる(11)。トンネル出口部(12)を見るてもらうとわかるが、昔は線路にトンネル出口に国道の踏切があるという、カーブも続きなかなか危険な道であったことがうかがえる。この遺構がこの道のハイライトである。廃線跡は海側に移り、護岸を築いて走っていた。
室蘭本線は、落石、波による護岸の侵食、見通しの悪い踏切などの面と複線化のためこの海岸線の旧線から昭和50年現在線に移行され、現在この部分はトンネルで通過している。
崖の修復工事箇所を抜けると礼文の漁港と奥に市街地が見える(13)。この付近で新線に切り替わったトンネル出口が現れる。そして真新しい碑が建っていた(14)。これは平成11年に礼文浜トンネル内でおきたコンクリート塊落下事故の記憶を忘れないようにするためのものである。 礼文の市街地に入り、駅(15)で道道も終わる(道道番号が変わる)。 |
(1)大岸駅 |
(2)大岸駅前 |