門前峠って何処よ?ってねえ。
殆どの人が知らないのではないだろうか?
道路地図を眺めていると、北湯沢の湯本名水亭近くに門前峠という字が飛び込んできた。
国道沿いでももないし…何だろうな〜と思って走ったのが2002年6月のこと。しかし緩い峠なだけで、名前が付くほどの道なのかと正直感じたままでいた。
今回はこの道を紹介する。
より大きな地図で 門前峠 を表示
地形図を手に入れて何んとなく眺めていると、現在の国道453号の通っている長流川沿いの狭い平地には道は無く、渓谷を避けるべく道は山側を通っていたことが分かった。この道は、この地域に最初に出来た主要道であることが分かり、門前峠の由来も含め、気になっていた
左:5万分1地形図「徳舜瞥」昭和12年発行(多分)(所有している地形図は、地形図部分のみ切取られたもののため)
右:5万分1地形図「徳舜瞥」昭和24年発行
この区間の胆振線が開通したのは昭和15年(1940年)
現在の地形図はこちら
調べてみた。
トクシュンベツ原野の徳舜瞥道路と中島道路の交差点付近は、この地域が開拓された当時から門前峠と呼ばれ、今も国土地理院の5万分の1の地形図に名前がある。
蟠渓から門前峠を通り、三階滝までのソーケシュオマベツ長流間原野道路(長流川上流原野左岸道路)がまず開削された。現在の川沿いの渓谷に沿う国道筋にあたる道路は地形図を見てもらうと分かるように、後に造られた。
明治41年新潟県岩船郡山野辺村字門前出身の小田大吉がこの地域の払下げを受け雑貨店を開いた。そのころ近くには、昭園の早瀬農場の30数戸、中島に32戸の入植者がいて、入植者向けに出店のだった。
やがて盛業を誇り、当時の室蘭毎日新聞に紹介されている。
小野大吉は、郷里から熊野神社の祭神を持ってきて付近に祭っており、大気にお店は、峠の茶屋のような存在でもあり、壮瞥や伊達の往復に立ち寄る人も多く、人々は門前出身の彼を「門前さん」と呼び、付近の峠を門前峠と称したところから現在もその名前がある。
|