港には外海には出ないで風連湖で漁をしているのだろうか、小舟しか無いみたいだった。湖面は静かでかつ何処までも続いているような広さを見せていた(7)。
(5)の分岐まで戻り、左側(東)の道を行く。この道は砂嘴の先端まで行くことが出来る。
分岐した砂嘴の道も立派な舗装路である(8)。分岐して1キロくらいは、この道と走古丹の集落の間には浅瀬が広がり、水鳥が沢山いた。その中には丹頂鶴の姿も確認できた(9)。
立派な舗装路は分岐から2キロでコンクリート道路となる(10)。北の辺鄙な道にもかかわらず舗装された道は道道よりも殺風景である(11)。
僅かな箇所に砂の道部分があるがそれも合わせても600Mくらいであり(12)、快適に走れる。分岐から5キロ程で番屋が現れ、ここで兵走してきた電線はここで終わる(13)。番屋には人は住んでおらず、舟は浜に上げてあり、何かの作業に使っているのか、今も漁をしているのかは解らなかった。この番屋の砂浜からの舟と海と国後島(写真ではわかりづらい)のシチュエーションは、最果ての地に来たと強く感じることが出来る(14)。 番屋の先はさらにさらに殺風景な最果ての道を進む(15)。カーブを抜けるとコンクリート道路の正面に砂山が現れ道は終わる(16、18)。
1年前、この砂山まで来たが大雨で車外にでて探索は出来ず引き返した。今回は曇りで砂山の向こうに行くことが出来る。車を降り、砂山を越えると、なんとそこは波消ブロックがありすぐ海であった(17)。幅にして10Mってところであろう。砂山の右側には無名の小さな沼がある(19)。 ここで引き返すのだが、Uターン時、砂にスタックしないよう気を付けたい。
何故、このような辺鄙な道が舗装されているのか?。冷戦時代、国防上根室湾に面したこの砂嘴が重要だったのか?。戦車、中長距離砲の台座でも置くためなのか?。なんて考えていたのだが、調べてみると昭和47年冬、流氷によって砂嘴が切断され、その災害復旧工事で護岸を兼ねたコンクリート道路を建設したとのことである。
路面★☆☆☆☆ 景色★★★☆☆ 最果て度★★★★★ 2003年9月中旬訪問
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