美瑛のトーチカ?

 2001年5月6日美瑛の福富から三愛に抜ける尾根の道を走ると、お碗形の小山があって、この前通ったときも気にはなっていたんだが、今日は立ち止まってよくみて見た。すると小山に細い小窓が二つあった。これはもしかして…トーチカ?何故、こんなところに…。いったい何の目的で…。謎…。
 



お碗型の小山。

近づくと…
細長い小窓がよくわかる。

小窓からの景色は好い。
露出、天気が悪い為
遠くの山が判り難い。


 トーチカらしきものの謎を解明しなくては…。
それで自分なりに考えたのだけれども、もしこれがトーチカだとすれば、きっと昔トーチカはきっとあの辺りにほかにもいくつかあったと思われる。あれ1つだけあったってことはないような気がする。探せばあるのかも…。しかし何故?ここも戦場になると思っていたのか?または訓練にでも使ったのか?でも自衛隊は隣町に駐屯しているし…。

 図書館に行って調べるか〜。美瑛の図書館にそういう資料あるんだろうかね。あるいは役場行けば解るんだろうかね?
駅前の観光案内所じゃ、わからないよな〜。札幌の図書館だと、北大図書館か〜。それとも江別の道立図書館か〜。


 というわけで、このトーチカを見てから1週間後の5月13日、札幌中央図書館に行って調べてきたよ。そして調べたものをまとめてみたよ。

 美瑛町史  

 89、90ページ要約
 明治40年
 美瑛演習場が原野1055町6反4畝2歩に設定せられることになった。土地は丘陵四辺につらなり、小流その間貫きて演習場として好適なることその比をみずといわれていた。主として歩、砲兵の戦闘射撃を目的とするもので、歩兵一箇聨隊を収容するに足りる廠舎を目的とするもので、初代管理者は時の戸長予備陸軍三等主計水涼が嘱託せられた。廠舎の設備内容は、兵舎12、浴室3、弾楽庫1、聨隊大隊本部2、診断所1、主管官舎1、炊事場3、酒保1、標的庫1、厩舎1、営丘所1、等であった。


 110ページ要約
 地質、気象の項の丘陵地(記載は昭和32年より前である)
 三笠山より南東、上富良野の境界線に至る地帯三角形の丘陵地、美馬牛川および鉄道沿いに流れる無名川流域は永年演習地であり、例年のように山を焼くため被覆物を失い、春南方よりの季節風や、雨水によって、特に南面の傾斜地は前剥せられて耕作に堪えぬほどになったところであるが、耕作地として開拓が進められている。



 角川日本地名大辞典 1北海道 下巻

 757ページに旧陸軍旭川第七師団演習地(美瑛原野地区6,820ha)という記載があった。


またインターネットで 美瑛、第七師団の二つのキーワードで検索したところ、「厚岸要港部/北の足跡 #2 愛田めぐみ」のサイトに下記のようなことが掲載されていた。

抜粋

 美瑛には演習場があり、大正15年8月には「化学弾効力試験」として化学兵器の実験が行なわれたと記録にある。
 また、昭和16年7月、対ソ連戦を考慮した防空力強化が行なわれる事となり、美瑛に第1〜第4防空監視隊が美瑛で編成され、防空教育の後に樺太と道南に配置されている。
 終戦時、美瑛には要塞建築勤務第4中隊(京都)が所在、旭川周辺の防禦を担当する旭川師管と道東の防禦を担当する第七師団の担任境界線である狩勝峠に陣地を構築していた。


 明治40年から第二次世界大戦が終わるまで(いつ演習場が農地へと生まれ変わったか未調査)は、少なくともあの丘陵地で戦争に備えていろいろと訓練していたということなんだろうね。トーチカについては、美瑛町史にもあるように歩、砲兵の戦闘射撃を目的としていたという点からも「あり!」だよね。以上のことから、トーチカらしきものはトーチカであるという結論になるでしょう。そしてトーチカも、もっともっとあの丘陵にあったであろうということが予想できるよね。丘陵地を探せば訓練設備ならびに演習場であった証があるのかもしれないね。情報をお待ちしていますね。




尾根の道にある木々に被われた
お碗型の小山。

雑草をかきわけて入り口につく。
上の写真とほぼ同じ角度。

美馬牛にある復元された
旧陸軍倉庫。



 2001年6月8日美瑛で念願の朝日撮影の後、朝5時くらいにトーチカにいってみる。1番上の写真を撮影して1ヶ月しかたっていないのにお碗型の小山は、全く雰囲気が違った。小窓の部分が尾根の道からでは木々に囲まれてコンクリートが見えないのである。そして雑草をかきわけて、トーチカの入り口に行く。そして中に入ろうとしたら入り口には蜘蛛の巣が…。爽やかな心地よい朝が一瞬にして腹立たしい朝へと移り変わったよ(笑)。結局中には入らなかった。
 右の写真は美馬牛駅のすぐ近くにある復元された旧陸軍倉庫である。倉庫の左側には説明書きがあって、それには、主な兵舎などは美瑛市街にあったけれども、美馬牛駅裏一帯にも昭和21年頃兵舎、厩舎が並んでいて、この倉庫を保存するのに移築復元したものだってことが書かれている。


 十勝連峰に冠雪があったばかりの晴れた2001年9月23日に、三愛の丘に自動車を停め折りたたみ自転車にてトーチカ方面にサイクリングをした。当初トーチカはまだ木々に囲まれており内部には入れないであろうと思っていたら、6月は雑草に被われていたトーチカの入口まで、けもの道見たいのができており、やっと内部の写真を撮り直しできた。



 
 5月6日の写真と比べると木々が青々と(逆光だから分からないか?)茂る。
黄色い折りたたみ自転車は、坂に弱い(トーチカとは全く関係ないが…)。

 今回はトーチカの番人?の蜘蛛の巣もなく、すんなり内部に入れたが、真っ暗なんですよ。ちょっと怖い。フラッシュで始めて内部が分かった次第なんです。

内部のコンクリートが剥がれて
いる以外は何もない。

銃を出す窓と銃の台座?
であった?出っ張りがある。

隣の右側の窓から外を見ると
こんな景色。(でもトーチカ内
からの撮影じゃない)



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