牧の内(牧ノ内)飛行場跡

根室半島の真ん中付近、牧の内の台地に、旧日本海軍の作った飛行場の跡が残る。

コンクリートの滑走路跡は、地元の漁師の網が広げられている他は、目立った使い方はされておらず、荒れていた。

また、滑走路から離れた場所には、掩体壕が何体か残っており、道道を走っていても遠くに見ることが出来る。



滑走路跡が残る、
コンクリートも風化してデコボコ



道道沿いに滑走路跡が延々と続く



掩体壕、牛が放されている



横から見るとこんな感じ



道道から見る掩体



近づいてみるとこんな感じ



林の中にコンクリの口が見える

《掩体壕》 太平洋戦争時、アメリカ軍の空撃から飛行機を守るため、有蓋もしくは無蓋の格納スペースのことである。有蓋のものは、屋根に土を盛って草や潅木を植えて目立たないようにした。

ページを作るに当たってこちらのサイトを参考とさせていただきました。
滑走路探検隊内の掩体壕データベース根室牧ノ内飛行場跡





計根別飛行場跡

根釧台地の別海町に、旧日本海軍の作った飛行場の跡が残る。

計根別と言う地名は中標津町だが、飛行場は別海町にある。飛行場は第一から第四まであって、うち第4飛行場のみ現役で航空自衛隊が使用している(西春別空港)。今回の飛行場跡は第1飛行場跡。後の飛行場跡は残っていないようです。

道道13号中標津標茶線から、左写真に記載した掩体を見ることが出来る。

飛行場の一部は別海フライトパークとして利用されている。

また、今は無き標津線はこの飛行場に物資を運んでいたようです。



民家の入口が格納庫跡



別海フライトパーク



道道13号から見える掩体



離れた場所に2つの掩体



右側の掩体



左側の掩体

《掩体壕》 太平洋戦争時、アメリカ軍の空撃から飛行機を守るため、有蓋もしくは無蓋の格納スペースのことである。有蓋のものは、屋根に土を盛って草や潅木を植えて目立たないようにした。

ページを作るに当たってこちらのサイトを参考とさせていただきました。
滑走路探検隊内の飛行場一覧計根別飛行場跡





浅茅野(第一)飛行場跡

天北の原野に、旧日本海軍の作った飛行場の跡が僅かに残る。

飛行場の遺構は、殆ど残っていない。

かつて音威子府と稚内を結んでいた天北線の飛行場前駅跡近くのゆるい谷に、衛門に続く橋の橋脚(現在の農道は、谷を下って登る)と、橋脚の先に飛行場の門、並びに水槽の支柱が残っている。

また、北には瓢箪沼付近に、無蓋掩体が数個残っている。また左写真の中央に下に延びる道は空港の道?の跡を利用している?。

北海道文化放送でかつて放送された好奇心HOKKAIDOという番組でこの飛行場が紹介されているという情報を千春の家様より提供していただきました。

その内容を紹介。

飛行場跡の近くに住むSさんの話、

第二次世界大戦後半に建設を目撃。2つ残る衛門のその近くには衛兵所があったという。終戦後、飛行場の資料は燃やされてしまったので飛行場が無いので記憶を元に資料を作っている様子が写される。滑走路は1200m、北方防衛ため、北海道に6つの飛行場を作ったうちの一つ。

17年に大規模な工事を始めた。
強制連行された人が主力となって土を運んで造った。
掩体が出来た当時は、笹も生えていない引締まった土色をしていたとの事。掩体壕の傍までやって来て、飛行場が農地として開放され、地主が壊さなかったので残ったとのこと。

飛行場が出来る前は、木がたくさん生い茂っていた。木の根を掘るのにタコと呼ばれる人が裸足で作業をしていたとの事。寒さや衰弱して凍えて死んでいった人が多い。

近くのお寺に100名ほどの朝鮮の亡くなった人の名簿があるという。



天北線飛行場前駅跡



西側橋脚跡



東側橋脚跡



衛門の門柱



水槽の支柱



無蓋掩体壕が残る


ページを作るに当たってこちらのサイトを参考とさせていただきました。

滑走路探検隊内の
掩体壕データベース
浅茅野飛行場跡



空港跡と思われる道より掩体壕を見る


北海道の産業遺産?遺跡?に戻る