越川橋梁(第一幾品川橋梁)

この橋は、旧国鉄根北線のために昭和14年に着工完成した10連アーチの橋梁で、全長147m、高さが20m。当時のコンクリート建築技術を伝える建造物として、また戦時下の過酷な労働を伝える歴史遺産である。

根北線は、本来北見地方の斜里から根室地方の標津(根室標津)へ結ぶ予定線であり、戦時中に斜里から越川、この橋梁があるあたりまで完成したが、列車が通ることなく、終戦を迎えた。国道変遷アーカイブで1949年の航空写真を見るとさらにずっと先、峠の手前まで工事の痕跡を見ることができる


 国道、木々の隙間から見える橋
昭和32年に斜里と越川間が開通したが、越川橋梁までは線路は伸びず、その根北線開通区間は人口も少なく、利用する人があまりにもいないため、昭和45年に廃線となった。
昭和48年に国道244号の拡幅工事のため、橋脚2本が撤去され現在に至っている。


国道244号で斜里市街から越川へ。越川駅跡を過ぎると、幾品川の谷を渡るため道路がカーブするところで、木々の隙間から越川橋梁が見える。


国道と交差部、川側
国道と橋梁が交差するところは、国道拡幅工事のため切り取られたコンクリート橋断面を見ることができるが、山側は橋梁にひびが入っている。
また、文化庁の登録有形文化財のプレートが付けられている。

現在、川まで降りるためのロープなどもあり、川辺からも見ることができるようだ。


2001年9月訪問


国道交差部、山側



落石無線電信局

 明治41年に、北米航路を通る船が北海道、東北沖での航行の安全をはかるためにこの無線局は設けられた。ドイツ飛行船ツェペリン伯号の世界一周旅行、リンドバーグの太平洋横断の際交信をしたり、北洋漁業の操業に活躍したが、昭和34年に根室市内に業務が移されて役目を果たした。

 根室市落石の市街から陸繋島になっている台地へと続く道を登っていくと荒地が広がっている。車両乗り入れ禁止箇所まで行くとそこから200Mくらいの場所にこのコンクリートの建物がある。無線の塔が建ってたと思われたくぼ地が左写真の建物の手前のに見られた。また建物の鉄扉が開いていたので中を見た写真は右上である。誰かがこの建物を買い取ったらしく、入口の上にはRとIを組み合わせたマークがついていた。ここからさらに進むと落石灯台がある。

2001年10月訪問



通信塔の跡の窪みと電信局



記念碑と電信局



内部は何もないようだ



遊歩道の先には落石灯台





国後島海底ケーブル通信所

根室市ハッタリ川河口には、明治33年?に作られたコンクリート施設が残る。

これは、ここ根室から、海峡をはさんだ島国後島のケムライ岬まで約30キロの海底ケーブルが敷設された際の通信施設である。

戦後、国後はソ連に侵入されケーブルは切断された。



 



 

この建物の前には門柱も残っているが、建物自体を保存していたとは言い難く、漁業倉庫?として使用されているようである。

通信ケーブルの一部(約1,500m)が、ホタテ漁船によって引き揚げられ、市郷土資料保存センターと北方館に保管されている。

2005年5月訪問


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