大岬旧海軍望楼


石積みの望楼


宗谷丘陵から海峡を挟んでサハリン(樺太)を望む




牧草地の牛とコンクリート建造物


 大岬旧海軍望楼は、明治35年に宗谷海峡を一望で出来る宗谷岬の丘に建築された。宗谷海峡を通過するロシア艦隊の見張りとして国防上重要となったが、日露戦争の終結に伴い望楼の使命は終わった。その後は、尼港事件では無線通信基地として、太平洋戦争では対潜水艦監視基地として使用された。
 望楼の上からの景色は素晴らしいが、風が強いので狭い螺旋階段を下りるのに注意が必要。現在写真左の階段は整備されて綺麗になっている。

 丘陵地帯を少し上がると牧草地に戦争に備えたトーチカ(観測所)が残る。

2001年7月、2002年5月訪問



北防波堤ドーム
 
 

 最北の稚内港に美しいドームと柱から、古代ローマ建築を思わせる建造物がある。

 北防波堤ドームは戦前、稚内−樺太との定期船発着所として土谷実設計で5年の歳月をかけ昭和11年完成した。70本の柱と蒲鉾状ドームが427m続く。
 昭和56年に修復工事を行い、現在に至る。

2001年7月訪問



豊富ガスタービン発電所

 北の素朴な温泉街、豊富。この地域は入植者が無いときから各所でガスが噴出していた。油田開発中に温泉が湧き、大正末から湯治場として発展してきた。

 昭和32年11月1日、北海道電力株式会社が豊富ガスタービン発電所を新設したのがわが国最初の天然ガス利用による営業用ガスタービン発電所であった。ガスタービン発電は、クローズドサイクル方式と呼ばれる、ガスをガスを燃やした熱によって圧縮空気を加熱してその空気力タービンを動かして発電していた。

 出力2000キロワット、使用する天然ガスは一日最大消費量は約2万立方メートルで、8000キロカロリーの高度の熱量を持っていた。

 発電当初は豊富町で使用し、余力は稚内へ送電していたが、豊富町の使用量が増えると豊富町のみで使用され、昭和51年2月に閉鎖された。

炎の形をモチーフ?にした建物に銀色の異様な形をした施設跡が残る。

2002年5月訪問



建物に残る発電所名
 



少しはなれた場所に
ガスタンクがある



豊富温泉にある
現役のガス採掘場


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