シネマのバラード

シネマのバラードは、郷愁の丘ミュージアム計画の第2期工事によって2003年2月に完成した。夕張では1990年から行われている「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」が行われていたこともあり、映画のある街、夕張の集大成ともいえる映画資料館である。

閉館間近の2006年10月訪問、館内は撮影禁止だったが、何枚か撮影したものをここで紹介。

入口には、当時の中田市長、の挨拶文があり、かつて夕張には16の映画常設館があって、炭鉱に働く人は入れ代わり立ち代わり映画館に殺到したであろう、そして数々の名場面や名優たちの思い出がぎっしり詰まっているからここでは、夕張市に大きな感動と興奮を運んでくれた数多い映画作品、思い出の名画を再現した云々と書かれていた。

そして入口を入ると赤穂浪士が出迎えてくれる。そしてシネマ街道にあるような看板、スターの写真とポスター、台本や雑誌、ゆうばり国際映画祭に関しての映画会社や監督、俳優から寄贈された機材や衣装、小物、ポスターなどが展示してある。映画に興味のある方であればありがたいのかどうかはわからない。ただ、何か感性くすぐる何かがあるようにも思えたが、リピーターはありえたのだろうか?。
また、館内にはミニシアターがあり、何かを上映していたかと思うが、ここに長居して映像を見ていく人はどれほどいるのだろうかねえ。


地味な外観


展示というよりは看板とポスターの通路


表紙しか見れない映画雑誌も陳列

資料館を出ると、シネマショップがあり、ディズニーのキャラクターグッズや映画関連グッズを購入することができる。閉館を意識させる全品セールとなってた。札幌に出ればすぐ手に入るような商品陳列だったけど、どのくらいの売り上げがあったのだろうか?オリジナル商品があっても売るれることはないだろうし、売店の規模がやたら大きかったが、こういうところの計画性ってどうだったのか?。

建物の外には、西部警察で使われた車の展示があるが、向かいにある生活歴史館の消防車群の前では存在感が薄いのだ。 


2007年3月夕張市は正式に財政再建団体に指定されるわけだが、この施設は、その前月2月に夕張市から加森観光に運営委託し、2009年からは花畑牧場が管理している。

追記、売り上げが伸びず2012年で指定管理者を夕張市に返上した。
 

 何故かディズニーグッズ売場




郷愁の丘 センターハウス

シネマのバラードと共に、郷愁の丘ミュージアム計画の第2期工事によって2003年2月に完成した「郷愁の丘 センターハウス」。

夕張を紹介する展示のほか、自然・歴史・産業遺産などのビジーターセンター、総合学習センターの役割を持っていると、夕張のタウンガイドに紹介されていた。
この施設は、郷愁の丘にある施設3つの中では、入館無料で、館内は、沢山の夕張の写真と絵画、本そしてなぜかアイドルの写真(レコードジャケット?)の展示がある施設であった。

ビジターセンター、総合学習センターと謳っているのであるけど、残念ながら、ちょっとそれはどうなの?と私は感じた。果たしてこの施設が機能していたのかインターネットで調べたが、あまりこの場所に関してふれられた情報は残念ながらほとんどなかった。赤字を生み出すだけの施設といっても過言ではないでしょう。

夕張のことを知るための設備は、すでに炭鉱生活館や、となりの生活歴史館があるので、この建物の存在を見出すためには写真しかなかったというのが本音であろう。建てる段階でもすでに「絵と写真でつづる夕張の歴史館」として計画されていたようだが、地方の何かの公共施設やショッピングセンターだった場所にありがちな、空きスペース仕方ないから写真展示してます、といった感じが拭えなかった。ま、きれいには見せていたけどね。
2006年10月訪問


センターハウス入口


写真の展示と奥はアイドルの写真?


写真の他にも油彩などがあった

2007年3月夕張市は正式に財政再建団体に指定されるわけだが、この施設は、その前月2月に夕張市から加森観光に運営委託し、2009年からは花畑牧場が管理している。

売り上げが伸びず2012年で指定管理者を夕張市に返上した。



郷愁の丘ミュージアム 計画構想

  かつて炭鉱に働く労働者と、その家族が居住していた思い出深い地域、社光地区。ここにあった炭鉱住宅は老朽化が進んだこともあり、取り壊され、その跡地には、郷愁の丘 ミュージアムを作るられることに。

計画構想では、第一期工事として生活歴史館、第二期工事としてセンターハウス、キネマの歴史館、絵と写真でつづる夕張の歴史館、第三期工事として夕張花の押し花館、石炭ガラス工芸館、そして建物群の手前に駐車場、裏の敷地は、桜の木が描かれた花の丘、そしてその横には、300種に及ぶ昆虫の丘 が描かれている。 
 
国庫補助事業を調べると、2001〜2004年(H13〜16)で4億2300万、センターハウスに2002年(H14)で3億38000万、その後できた北の零年に2005年(H17)で3600万の国や夕張市のお金が使われております。

その計画この施設の有効性はあまり評価されないうちに2007年3月6日、夕張市は正式に財政再建団体に指定され、第三期工事は行われなかったわけで、借金が増えず良かったのか?。まあ、この事業自体評価されるものではないですが…。大義名分っていうことなのか?
造られた施設も売却したのか賃借しているのか現在ミュージアムとは違う事業となっている。

花の丘には、現在桜の木が植えられ、毎春には「ゆうばり桜祭り」が行われている。ちなみに今は「郷愁の丘」ではなく「夕張希望の丘」と名称が変更されている。
    

壮大な計画でだったが、財政再建団体に指定され
計画は第三期工事は行われなかった。




花畑牧場 夕張希望の丘

夕張希望の丘は、かつて郷愁の丘にあった、生活歴史館、シネマのバラード、センターハウスの建物群である。郷愁の丘は、黒い屋根で落ち着いた趣というより暗いイメージ強かったが、希望の丘は名前の通り、赤い屋根に変わり希望を感じる明るさがでていたが…。

2007年3月夕張市は正式に財政再建団体に指定されるわけだが、この施設は、その前月2月に夕張市から加森観光に運営委託し、2009年からは花畑牧場が管理していた。
2012年10月?11月?売り上げが伸びず指定管理者を夕張市に返上した。これを記している2012年12月、この後紹介する施設はホームページ上に記載がなくなっている。このページを作る際に、花畑牧場のWEBを振り返ることは残念ながら出来ないので記憶が・・・。
希望だけではどうやら短い夢であったようだ。

2012年5月訪問
郷愁の丘の施設と共に見ていただきたい。



花畑牧場 シネマカフェ

もともとは郷愁の丘シネマのバラードであった建物を利用したシネマカフェ。
入ってみると、シネマのバラードの展示をほとんどそのままにしたシネマギャラリー。ここは入場料無料で見られる。写真撮影も禁止とはなっていなかった。以前入口にあった赤穂浪士の人形の出迎えはなくなっていたかな?。訪問時はさっと流してみただけとなった。夕張でロケした映画の写真パネル等もあった。訪問時は人も出ており、寂しい感じの展示ではなかった。

シネマのバラード時代は、ディズニーグッズが売っていた売店がカフェスペースとなっていた。

花畑牧場アイスクリームや、ドリンクを売る売店、そして花畑牧場が売り出すホエー豚丼とホエー豚カレー?のみを提供する店がある。しかし売店ならびに豚丼の店も営業時間が食事時のみであった。15時までかな?

もう営業しないようなので書いちゃいますが(営業が続いてれば書かなかった)、訪問時は、お新香がなくなったから品切れというありえない営業をしていた。カレーも売り切れ(レトルトでも?)、私は、お新香入らないのでいいといって豚丼食べましたが…。お新香ってったってね〜、自家製でもないでしょう?業務用のもの盛り付けてるでしょうし…。なんだかな〜といった、この先どうなの?という正直やる気のない感が漂っていたのでした。
あ、ホエー豚丼の評価は、炭火で焼いていて美味しいほうじゃないでしょうか?ただ価格が1500円近いとなると1回食べればいいかな?となってしまうでしょうね。価格との釣り合いには厳しい店構えでは、リピーターはいたのかしら?
カフェっていう名前なのにね…、正直カフェといえない状態でした。生キャラメルブームが去ってしまうとこの土地で営業というのは正直厳しすぎるよなあ〜。


旧建物は黒い屋根っだった


シネマギャラリー


ディズニーグッズ売場がカフェスペース


ホエー豚丼、美味しいけど価格が…


センターハウスはアートギャラリーに


写真展示は北野武のアート作品に
 
花畑牧場 アートギャラリー

元郷愁の丘センターハウス。館内は、かつての夕張の写真の展示はなく、予備知識もなくここに来たが北野武のリトグラフが並んでいた。片隅には、花畑牧場のオーナー、田中義剛がアタックヤングやオールナイトニッポンなどのラジオ番組で若者に人気があったころやっていた石炭の歴史村の宣伝ポスターが飾ってあった。「バリバリ夕張!」ってよくテレビで流れていたね!。


花畑牧場 生キャラメル体験工房

元郷愁の丘生活歴史館。訪問時は残念ながら門戸が閉じていた。生キャラメル体験は果たして今年度は開催されたのか?
裏側にあった展示スペースは、「所ジョージ世田谷ベース夕張出張所」となっていたようだが、こちらも公開されていない状態だった。



田中義剛の夕張キャンペーンポスター


歴史館は生キャラメル工房へ


シャッターの閉まったガレージ

今回ここを書く際に、検索で過去の画像を見たが、これらの施設が出来たときはすごい人だかりができていた。
訪問時は5月の日曜、桜祭りも開催されていたが人が人はいるものの、閑散とした雰囲気はぬぐえずさびしい限りだった。



花畑牧場に思うこと

2007年花畑牧場が生キャラメルを発売してからしばらくして、テレビ等で取り上げられること多く、生キャラメルは全国のデパートの北海道物産展では、早朝からこのキャラメルを目当てに行列ができたり、また無数の類似品が販売され、類似品にとどまらず偽物も出回るるなど異常な一大ブームとなった。
07年3億4200万円だった売り上げは、09年に143億1500万円とアップした時期に、郷愁の丘の3施設跡他を管理して、生キャラメル事業やホエー豚丼事業に投じる形となった。
北海道だけではなく、人気も手伝い、東京にも8カ所店舗をだしたりしたが、現在は閉店している。

個人的思うことだが、商品人気はいつまで続くか解らない、稼げるときに稼ぐという、芸能人も旬なうちに稼ぐだけ稼ぐという感じの商売。バブルのころに多数あったタレントグッズショップ、カレー屋、漬物屋、総菜屋同様、人気がなくなれば撤収という感じで事業を展開していたように感じた。花畑牧場自体が経営基盤であれば、一気に出店して生キャラメルバブルが崩壊して撤退というのは地域にも根付かないし、リピーターも出ないというような結果になってしまって、花畑牧場自体のブランド力を相当低下させたと思う。「手広くやりすぎず、北海道にこだわっていればもっと長く売れ続けたのでは?」、こう思うのは私だけじゃないでしょう。

私は、田中義剛は嫌いじゃないのです(グーグルで検索すると田中義剛と入れるだけで次のワードが嫌いというのは如何なものか…)。歌手時代、新川高校で行われた学園祭で体育館の床が抜けたころ、そして生キャラメルブームのころのようなギラギラして調子に乗った義剛が見たいです。メディアに出ては来ないのかな…。




北の零年 希望の杜

平成17年(2005年)に全国で公開された映画「北の零年」。明治時代に淡路島から北海道静内へ移住を命じられた稲田家の人々の物語で、吉永小百合さん111本目の主演映画だった。

この映画のロケのメインは、夕張で行われためロケセットがかつて炭鉱があった人里離れた山奥に造られた。観光資源にと17年9月に、郷愁の丘ミュージアムに隣接したところに、夕張市のお金3100万円、国の補助500万円を使いロケセットの一部を移築してオープンした。 
殿の屋敷、志乃の家、神社、火の見櫓、井戸を見ることができる。
殿の屋敷内では、映画の出演者の写真や、ロケで使われた衣装や小道具が展示してある。

希望の樹なるものが志乃の家や井戸の横にあり、願いを書いた布を書いてつるすことができるが100円ね。

この施設の単独入場料は200円だったが、夕張に縁のある映画でもないので、いつまで管理され続けるのかわからないであろう。

映画もキャストに対して脚本がダメダメで、すごくつまらなかったし…。
この施設を移築に掛かった金額を考えるとねえ…。


2006年10月訪問
 

殿の館
 

志乃の家、神社、井戸、つるされた布も



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