ゆうばりキネマ街道 (歴史村商店街、本町商店街


「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」は、前中田市長の発案で1990年に町おこしの一環で始まったもの。
国内外の有名映画人を呼んだりした効果もあり、国際的にも知名度があったみたいね。2006年までの17回で約33万人の人出があった催しであったが、財政再建団体になったため2007年は中止(有志主催による「ゆうばり応援映画祭」は開催)、翌2008年から復活開催された。


かつて炭鉱で働く人のためにできて繁盛した本町商店街は、炭鉱跡地にできた石炭の歴史村にちなんで歴史村商店街と呼ばれていたが、
映画のある街ということで市街地の商店街には、2000年から映画の絵看板を並べ「ゆうばりキネマ街道」と名付けられた。

このような絵看板を並べるようになった理由を今回ネットで探して確認したかったが残念ながら見つからなかった。




(1)ホテルシューパロ前から商店街を見る
私の記憶では、確かこんなことで始まったかと思う。歴史村商店街は、町の斜陽化により、シャッターが閉まった店が多くなり、人通りも少なく、活気がない状態が続いていたので、それを打破するために、カラフルな絵看板を空店舗や開いている店に並べることで、町の活気を取り戻そう!という意気込みで始まったかと。

働いていた人がいなくなったこの商店街は正直本当に寂れてしまって、映画看板が並んだ翌年の2001年訪問時には、ネタじゃなくキタキツネが商店街を歩いていた。

その後の街づくり事業で空家だらけの商店を壊し、道路の付け替え並びに歩道をつけて道路拡幅を行ったエリアでは、古い建物をすべて壊し、建て替えを機に店舗も少なくなってしまい、炭鉱があったころの面影は無くなってしまった。


今回紹介するのは2001年訪問時のものを中心に、ホテルシューパロ前から進んでいく流れで商店街の映画看板と建物を紹介する。看板はほぼすべて撮影してあるが、看板の写真では街の雰囲気は伝わらないので建物も入る写真を選択。看板の約7割は写りこんでいるかと思う。一部2006年、2012年撮影の写真を補足とする。
 


(2) (1)道路が付け替えられた*2012
 


(3)この路地はかつての線路跡?
 


(4)ホテルシューパロにも映画看板
 

ホテルシューパロ前から志幌加別川を渡るまでの道路には、炭鉱があったころからの商店街の建物が並んでおり、開くことのなさそうな店にも映画看板が並び、何となく街並みに馴染んだものであった。 
2012年5月に訪問した際には、ホテル前は、道路が付け替えられ、(1)の面影は全くなくなってしまった(2)。



(4)1つの建物に2店舗同居する
 


 (5)土産物店〜衣料品靴の店が並ぶ
 
 

(6)電気屋、飲食店、看板のない店も
 


(7)設計製図用品から結納セットまで
 


 (8)何の店だったのだろう?
 


 (9)雪印ハムと道路上の商店街名板
 
  
(4)は青果店。夕張メロンの配送需要がある模様。ローマの休日の店舗入り口は、壁の模様ではなく、メロンの空き箱が高く積まれていた。
(5)の青い庇テントには、チャームショップ 墓石・記念碑・設計・施工 とあるが、店舗に並んでいるものは婦人物の靴や衣料品であった。その奥のシャッターは空き店舗になっており、サンダルなどの入ったのワゴンが。(6)の映画看板のない店は洋装店。
(7)は事務文房具店だが、結納セットというのが面白い組み合わせに感じたが、検索するとこういう組み合わせって地方では普通みたい?

2012年5月訪問時に気付いたが(9)の道路を跨いでいた「ゆうばりキネマ街道」の文字が道路横に黄色いハンカチとともに飾られていた(10)。キネマ街道として看板を掲げた頃とは大きく街の面影が変わってしまったので、現在の状態のキネマ街道しか知らない人は、映画看板も少ないし、家の少ない街並みを見るとこれが観光資源として如何なものか…?と思ってしまうかもしれないと感じた。

(11)のパチンコ店は、何時ぐらいまで店を開けていたのだろうか?
 


(10) (5)のあたりに商店街名板*2012
 


(11)パチンコ屋跡と損保代理店(跡?)
 


(12)ストリートの半分は空地となった
*2012


(13)ロケ地にも看板が立った*2012
 


(14)顔ハメも存在した
 


(15)本町商店街の事務所他の施設
 

 健さんの幸せの黄色いハンカチのロケ地でもある階段は、2012年訪問時も残っていたが、その隣在建物に以前は無かった映画看板がついていた。(15)に付いているやつね。、その(15)の建物は、この通りの再開発の事務所となったいた模様で、「マチの再整備を成功させよう」看板が出ている。街が破綻した限り成功したとは言えるのかなあ…。googleのマップで現在のものを見ると再整備で、ここで紹介した店の一部は、立ち退き等で同一の場所じゃないところで新店舗で営業していたりするようだ。
で、石造りのこの建物は以前は名に利用されていたのだろうか?

(14)は、顔ハメも存在していた。ちなみに写っている自転車で探索した。

(17)、(16)と建物が並んでいるのだが、クリーニング店は営業していない感じだったが、隣は洋服のお直しと書かれていた。その隣の空き店舗の隣、のコカコーラのマークの商店には、鮮魚、蔬菜、青果 と書かれている。蔬菜ってあまり聞かない言葉だなあと。店は営業していた。また自販機はほかの店にもあるが、商店街の規模を考えると多すぎる気もしたのだ。

(18)マスミはビューティー系の店としては珍しい日曜定休日というスタイルだったようだ。


(16)鮮魚、青果の店は開いていた
 


(17)クリーニング店と洋服直し店
 


(18)日曜休みの美容室?
 
 

(19)この建物は現在もある
 


 (20)電気店跡?と時計店、メガネ半額
 

(19)の2階は飲食店、その向かいにもジンギスカンも出す店があった。
(20)はSANYOの字が読み取れる電気店跡と、時計店は営業中。

(21)の建物は呉服店で風格があった。裏通りにも大きな呉服店跡があった。


(21)木造三階、呉服店
   


(22)2001年の街並み 店が並んでいる
 
   
(22〜24)は、ほぼ同一定点観測である。11年間の違いはあまりにも大きい。(23)では、まだ道路拡幅途中であった。

道路も広くなり、古い建物は一掃され、明るい雰囲気になったが、その反面何故か淋しい感じがしないわけでもない。こういう街並みの景色は夕張に限らず、過疎化が進んだ北海道の各地でみられる光景でもあるのだ。



(23)2006年の街並み 店は建て替え、道路拡幅工事中
 



(24)2012年の街並み 道路が拡幅された
 
 

(25)家電、石油ストーブ修理も
 


 (26)寿司屋だが焼き鳥と成吉思汗も
 


 (27)谷にそびえ立つ寿司屋だった
 

商店街の道はは、カーブの下り坂で志幌加別川を渡る。その手前には、ストーブ等の修理の店(25)。その向かいには寿司屋なのか成吉思汗なのかやき鳥屋なのか?なんでもありの店は、川の谷に足が伸びている、2階プラス地下という構造だったのかな?。鉄骨で組んであるところは車庫というか駐車場。ハンドル操作を誤ると谷底という感じで車の出し入れ怖いなあと(26、27)。
この修理の店と飲食店は、道路拡幅、橋の付け替えはしていないと思うが、その手前の道路の拡幅でなくなってしまった(28)。2006年訪問時は、車は通れないが歩行者は通れるようになっていた。

橋を渡った先は、再開発はされていないので、昔の儘の街並みが残る。(29)手前の建物は医院跡、その奥は2001年次はたしか映画祭事務局があって、ゴットファザーの看板があったが、2012年、空きビルとなって看板も無くなっていた。(28)の写真で見るとかなり大きな建物だ。
 

(28)道路拡幅のため橋は通行止
寿司屋はない *2006
 

(29)橋を渡ると再開発されていない
*2012


(30)奥は医院、手前は理容店
 
 

(31)道銀跡は夕張青年婦人会館
 


(32) iscount  ouse とシャッター
  


(33) 花屋? 店構えが素敵
  
  
(31)は2001年訪問時はここで子どもたち?が太鼓の練習をしていた音が聞こえていた。お祭りの時にでもお披露目したのであろう。10数年経った今でも太鼓の練習は行われているのだろうか?この建物は北海道銀行跡で、緑色の看板にはうっすらその字を読み取ることができる。

その先にある(32)は、iscount  ouseと色褪せた黄色い字で書かれているが、きっと頭文字にあったと思われるDとHは違う色で書かれていたのだろう。ディスカウントハウス、何の店だったのだろう?。)(33)は、「はなや」という店跡。

夕張市役所前の交差点まで来ると、家具のデパートには、映画のある街夕張 ゆうばりキネマ街道 と掲げられてた。2012年訪問時にこの辺りの様子は確認しないでしまった(34)。が、この奥にあった傷病所は無くなっていた。

市役所にはサウンドオブミュージックの看板があったけど(36)、この絵の巨大なものが花とシネマのドリームランドに、かつては存在した。
 

(34)家具のデパート
 


(35)タクシー会社でもあったのかな?
 


(36)市役所にある看板、この絵は…
  



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