千春の家
北海道の内陸地の日本一広い町で有名な足寄町。ここは1977年デビューの松山千春と政治家の鈴木ムネオを輩出した町である。足寄駅前の道路を走り住宅街に入り、案内板が出ているのでそれに従っていくと到着する。ある程度大きな家であるが普通の民家である。千春の若かりし頃の髪ふさふさのものと、最近の髪が無い自画像が掲げられている。



北の大地について歌って、これによって北海道ブームの一端を担っている。80年代は千歳空港で「千春の家まで」とタクシーに注げてここを訪れるファンもいたとか…って凄い金かかるじゃん。



足寄町のドライブインで見かけた似顔絵。
全然似ていない…。

2002年9月訪問




虫類ナウマン記念館

虫類ナウマン象化石は1969(昭和44)年7月に、十勝平野南部の忠類村晩成の農道工事中に全骨格の80%が偶然発見された。これにちなんでできた記念館は太古のロマンを感じさせるのである。また、付近を通る十勝平野南部の交通量の少ない国道336号 は、ナウマン国道と名付けられている。
建物は上から見るとナウマン象の姿を想像したデザインに成っているが…、普通は見れないよなぁ〜。
           
館内中央には全長4.3mの復元骨格が展示されており、その周りでは、発掘にまつわるエピソードや研究のあらましを展示、当時のマスコミ報道の様子の楽しいビデオ(見る価値あり)放映や、申し訳ない程度にアンモナイトの化石なども展示してある。

2002年4月訪問





土の館

夏の北海道観光の定番の地、富良野にある、 プラウ(土を耕す農機具)の全国的メーカー「スガノ農機」には、北海道遺産にも認定されている「土の館」がある。

館内に入ると、スガノ農機の創立者の菅野豊治に関する展示、また作った農機具が展示してある。
2階に上がると、世界のプラウと土の博物館というテーマの展示になる。名前の通り世界のものの他、日本のものが多数並ぶのだが、同年代で比べているわけではないが国によって形も違うのが興味深い。土の博物館は、日本と世界中の土壌標本が100点以上展示してある。
十勝岳噴火に関する資料もある。


土の館、外には農機。夏は雪囲いは無い


菅野豊治と語る館(労作為人記念館)


世界のプラウその裏側に土の博物館


トラクタ博物館


ずらっと並ぶトラクタ


1902(明治35)年製の蒸気機関トラクタ

外に出ると、トラクタ博物館が2棟、スガノ農機の商品のプラウの展示館がある。
そのうち、トラクタ博物館は、この土の館の目玉である。トラクターは昭和37年に国からの補助金が増えたことにより導入が進むまでは、家が建てられるほど高価で貴重な存在であった。そんな昭和20年代から40年代に北海道各地で使われていた国産、輸入車が50台以上展示してある。ベンツやポルシェやフィアット製なんかもあるのだ。

中でも、1902年に製作された、蒸気機関で動くトラクタもあり、これは現代でも動くように整備されている。

2002年7月、2003年4月訪問





 クラシックカーミュージアム函館

北海道の南の玄関函館。観光客が訪れるこの地、函館を象徴した青函連絡船桟橋跡地に出来た複合施設「クインズポートはこだて」にクラシックカーミュージアム函館があった。現在建物も壊されて駐車場となっている。
記載している10年も前の訪問記になってしまうのだが、現在、このクインズポートはこだては建物自体が存在しない。ウェブで検索すると1990年にシーポートプラザとして出来、2005年にクインズポートはこだてに改名し、このクラシックカーミュージアム函館がオープンした。しかし、2008年には施設は閉館してしまう。わずか3年の間存在した函館の観光スポットを紹介する。

2006年5月訪問

館内に入ると、ゴールデンウィークの谷間の平日だというにもかかわらず、私しか観光客がいないという状態。
1900年代から大体1970年代くらいまでの、アメリカ車を中心としたクラシックカーや、ヴィンテージカーの展示。
おおよそ60台くらいは展示してあった。あれだけの展示は国内ではまずない規模だったのではないか?。
函館駅近くにあるにもかかわらず、万人受けするわけではないので団体観光客が来るわけでもない、わざわざ色々な観光コンテンツがあり、何日か滞在する観光地ではない函館まで来てみる施設ではなかったというのが正直なところだろう。

 

 
 

 
 ここにあった車は、中国企業に売却されたが、展示されているかどうかは不明だ。

アメ車に興味が無い私にはあまりグットは来なかったね。
 

 
 

 
 

 




戻る