真谷地炭鉱
 

夕張市石勝線沼ノ沢駅から東部に流れる真谷地川に沿って進んだ山間に、北炭真谷地炭鉱があった。
クルキ炭鉱の名で操業していた炭鉱を、明治38年に北海道炭鉱鉄道会社の経営となり、夕張第2坑という名になったが、大正8年に真谷地鉱となった。昭和18年の従業員は真谷地鉱1061人、昭和40年には1248人年産46万トンを記録。
昭和62年に閉山。
炭鉱に関する資料が手元にないので、訪問時の写真を公開する。現在は真谷地炭鉱があった地にあった建物や構造物は撤去されてしまった模様。
撮影時期、2001年6月上旬下旬、2002年4月、5月。
温存しすぎて?このページを公開する10年も前のものとなってしまった。



(1)


(2)
北炭建設と書かれた古い建物(1)。晩年は資材倉庫として使われていたようだが、建物の大きさ、玄関構えからかつての炭鉱事務所の風格が漂っている。

(1)の建物の先、は道路が伸びているが、かつてここには、炭鉱鉄道の専用線が伸びていた(2)。左の建物がのちの炭鉱総合事務所(3)で浴場や繰込所、などがあったとのこと。そしてこの建物の裏には立坑があった。

(2)の先、線路後の先には、(4,5)、貨車へ石炭の積み込むホッパーがある。コンクリートのトンネル状になっているところに貨車が入り。上から石炭が落ちてくる構造になっていた。コンクリート構造の上には木造?鉄骨組みの建屋が立っていた。


(3)


(4)


(5)



(6)

内部に入ると、伝統や、上部から貨車に石炭を落とすための錆びたシューターが一列に並ぶ姿が壮観だった(6)。

ホッパーの後ろのほうはコンクリートの基礎が残る。ここにはいったい何があったのだろうか。高台になっているレベル右側の桜の木は、(11)の左側の桜の木。
そしてその一段上の建物は(10)。

ホッパーの対面には原炭ポケット?の遺構がある(8)。

(9)、高台から原炭ホッパー?と貨車積み込み施設を俯瞰したもの。

(10)、何の施設だったのだろうか?建物の中を見たときは風呂もあった。

(11)、立坑跡とその関連施設のあった平地。コンクリートの立坑封鎖部位からガス抜きのための管が出ていた。

(12)、ホッパー群の後ろには、閉山後に観光施設として作った10連の青い屋根の炭焼窯(すでに廃業)、そして廃バスが並んでいた。


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(8)


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