大湊海軍通信隊稚内派遣隊幕別送信所


1931年(昭和6年)に、大湊海軍通信隊稚内派遣隊幕別送信所は造られた。
ここでは1941年太平洋戦争(大東亜戦争)開戦時に「ニイタカヤマノボレ一二〇八」の暗号電報をここから、択捉島中央にあるの単冠(ひとかっぷ)湾に中継打電した。各地の電波を傍受し、戦争における拠点となっていた。

戦後は米軍が駐留し、その後、撤退後は防衛庁が管理していたが、2006年に稚内市が有償譲渡された。




建てられて年月が経ち、使用されないまま長い間放置されており屋根が落ち、一部窓が割れた状態。



現在は屋根がだいぶ落ちてしまっている模様。



屋根が落ちた屋内。 
米軍の使用した後も、防衛省が利用していたのかは不明。


一部離れた建物は現在は復元されている。


おそらく電波を受信していた鉄塔があった場所か?


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