三井砂川炭鉱

 
三井砂川炭鉱は、北海道における三井系の中では最大級の炭鉱であった。

訪問写真は2002年6月と10月と2006年11月のものである。



(1)2002年6月



(2)2002年10月


1896年にこの地区は開坑し、三井鉱山がこの地を買収し、1924年大正13年に三井として開坑した鉱山で、1987年に閉山した。

閉山後は1991年に中央立坑を使用した日本唯一の地下無重力実験施設が開業、地下710mの立坑にカプセルを落下させることで約10秒の無重力状態を作り出し、活用された。

上砂川町のシンボルとしてもカントリーサインに描かれている。1994年には立坑正面に無重力科学館が作られたが、2001年に、1回270万円の落下実験が約4600回の実験が行われた立坑の実験施設が廃止され、無重力科学館も2005年に休館された。





(1)1968年昭和43年に建築された中央立坑櫓、地下無重力実験センターとして稼働していた頃

(2)1952年昭和27年に建築された第一立坑櫓、訪問時は滑車の回る音が聞こえていた

(3)第一立坑の近くにある巻上機?の残骸

(4)となりの上砂川神社裏から見た第一立坑

(5)第一立坑跡。2003年に解体されなにもない。 ズリ山の向こうに太陽

(6)名前はわからないが中央立坑から山側に入っていく市道でみた排気口?らしいものが山に残っていたが、実験施設とともに使われていたかもしれない。



(3)2002年6月



(4)2002年10月



(5)2006年11月、(2)と同地点



(6)2002年6月


第一立坑の横には、上砂川神社が存在していたが、2002年訪問時、参道も草が生い茂り、社務所?等は崩壊していた。

2006年訪問すると、状況が変わっていた。

2002年と2006年を比較してみた。左が2002年、右が2006年。



 



 



2002年参道の石階段横には草が生い茂り、参拝する人も少ないようだ。

2006年訪問すると、鳥居だけでなく階段の石まで撤去され、登のはかなり厳しい状態になっている。





 



 


拡大したもの。神殿もなくなってしまった。


グーグルの写真で見ると、神殿なども解体されて更地になってしまっている。





 



 


2002年に階段登ってみた。本殿は囲いがされて、しっかりしていたが、社務所?などは倒壊していた。

草も生い茂り、歩けるのは本殿付近のみ。

神社が無くなったのは、炭鉱施設が使われなくなったので、山神様の役目も終わったということなのだろうか?






三菱芦別炭砿

芦別はかつて炭鉱の町として大きく発展していた。
そのうちの三菱は、上芦別から、油谷まで炭鉱専用鉄道を引き、三菱芦別駅に隣接して選炭機をを設置した。
1964年(昭和39年)に閉山するまで使われ、民間の木工会社がこの建物を引き継ぎ使用した。



建物の老朽化、会社の部門撤退?等で2002年に取り壊され現存せず。

2002年6月訪問
 
 


 
 


 
手持ちの絵葉書をみると、建物の形は原形をとどめているが、木工関連施設になったことで写真とは変わっているようだ。
左側のコンクリート建物のところに木造ホッパーがあった。2002年の写真を見ると、雰囲気的にオレンジ色の建物の間に想像上線路があったようにも見えるが、左の建物内そしてその左側にあった。

下の3つの画像は、三菱芦別炭鉱が全盛期の頃の絵葉書である。まだカラー写真ではなく、彩色絵葉書。
 
 

    

左:躍進三菱芦別炭礦の象徴新選炭機 
  選炭機の色がわからなったようで色付けされていないのが特徴

中:畑の下は石炭の宝庫三菱芦別炭礦の露天掘

右:三菱芦別専用鉄道(延長7.5粍)の空知川鉄橋(高さ100尺長さ400尺) 
  尚、粍は誤植と思われる、絵葉書の向きを90度変えトリミング済

ここに載せませんが、あと2枚の絵葉書があり、野花南湖畔の三菱芦別炭礦従業員憩の家湖畔亭、夢のお國三菱芦別炭礦の幼稚園(夜は仲良し少年會教室) と記されたものが手元にある。



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