宗谷国道238号 山軽駅跡付近の旧道


【山軽】地名は、アイヌ語のヤムワッカルーに由来し、「冷たい水の通り道」の意である。ヤムワツカルという地名は、江戸期から見れる地名である。
大正8年、国鉄宗谷線(後に天北線)が開通、山軽駅開業、クッチャロ湖を流送してきた丸太を集積した駅として賑わった。最盛期には戸数120、人口550人。同9年に浜頓別小学校山軽特別教授場開設、昭和24年山軽分校、昭和26年山軽小学校となり、児童数16人、しかし昭和41年廃校。  〈角川地名辞典を参照〉

現在、山軽駅前には集落は存在しておらず無人地帯である。廃校になった昭和40年代には無人地帯となった可能性が高い。国土交通省の昭和52年の航空写真を見ると、民家の跡が判別できない。
また、道北の不毛地帯の開拓に貢献した天北線も平成1年廃止となった。

航空写真の、国道の太い道から弧を描く細い道が今回紹介する国道238号の旧道である。

浜頓別市街から国道238号を約6キロ地点の緩やかな右カーブを曲がったところが旧道入口(1)、右の長細い白い案内には、「浜頓別町死亡獣蓄処理場入口」と書かれている。

右側が牧草地、左は森の道(2)を進み少し下ると、色褪せた踏切警戒標識が現れ(3)、サイクリングロードとなった天北線跡と交差する(4、5)。鉄道が現役の頃は遮断機はあったのでしょうか?。気になるところだ。

踏切跡を過ぎると道路は直角に曲がり、線路跡と並行した(といっても線路跡は見えない)、平坦な道となる(6)。森の中を抜けると、笹原が広がっている。笹原の広がっている場所は、入植者が開拓したのであろう。

笹原の真ん中に十字路が現れる(7)。



(1)旧国道浜頓別側入口



(2)潅木の中の道



(3)色褪せた踏切標識



(4)天北線跡と交差



(5)自転車道となった線路跡



(6)踏切跡を過ぎると笹原



(7)十文字の交差点



(8)左折は立入禁止



(9)右折して突当たりは駅跡



(10)駅近くに残る井戸

十字路を左折は立入禁止(8)、轍はこちらに続いている。道の入口に書いてあった死亡獣蓄処理場があるのでしょうか?。死亡獣蓄による感染症もあるので素直に進入はしなった。航空写真から、この道を進むと、クッチャロ湖の大沼と小沼を結ぶ水路に出ることが出来そうである。

十字路右折は道が悪い。普通乗用車では走らないほうが無難だ(9)。この道は、山軽駅前通りである。笹薮と、何本かの木があるだけの原野となっている。かつては、この道の両脇に、民家や商店、木材置場などが並んでいたのであろう。

突当たりの駅跡の手前右側に、古井戸を発見(10)。泥炭地であるので水質はどうだったのだろう?。駅前は雑草が茂っていて泥の轍がある。

ホーム跡には待合室?らしい建物が、サイクリングの休憩所として残っているが朽ちている(11)。

駅名板が残っているが、錆びていてかろうじで「やまがる」と読み取れるが、隣の駅名は判らないくらいになっている。3年前に訪問したことがあるが、風化が進んでいた(12)。また、駅舎跡の基礎が残っている(13)。

十字路に戻り旧国道を進む(14)と、左手にクッチャロ湖小沼が見える。この笹原も開拓地だったのだろう(15)。

やがて道路は右カーブで森林地帯へ(16)。すると一瞬進むのを躊躇うほど笹が道を覆っていた(17)。3年前はこんな感じじゃなかったのに…。廃道になる勢いだが、今回はレンタカーなのでもちろん進む。

路面は問題ない状態だが、笹が車体を擦る音が…。

写真にはないが、再び踏切警戒標識が現れて、天北線と交差する(18)。笹の道路進出は治まらない…。

緩やかな上り左カーブを曲がると牧草地となり、笹の道路進出はなくなる(19)。そして現国道を走る車も見えてくる。やがてその国道に交差して旧道は終わる(20)。



路面★★★☆☆
景色★☆☆☆☆廃線巡りが楽しめる
2005年6月4日訪問



(11)ホーム跡と朽ちた小屋



(12)かろうじて読める山軽



(13)駅舎跡の土台



(14)再び旧国道を進む



(15)左手奥にクッチャロ湖小沼



(16)カーブを曲がると…



(17)笹が道路を覆う



(18)また天北線と交差



(19)カーブの先は真直ぐ



(20)浅茅野方面からの入口



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