その1


道道610号占冠穂別線は名前の通り、穂別(現むかわ)の富内から、占冠のニニウまでの間の道路で富内側、ニニウ側ともに取り付けの他の道道使うと、穂別と占冠の中心部を繋いでいるのである。
この道は、崖がある蛇行する鵡川沿いを進むので、頻繁に崖崩れがおこり、不定期に通行止の時期が続くことが多い。道も狭いこともあり、いつも通れるわけでもないので通行する車は多くない。

今回は、2006年11月3日、えのぺーじの「え」さんの運転協力によりレポート化が実現しました。



(1)道道131号からの分岐入口



(2)鵡川を渡り富内集落



(3)富内メインストリート


道道131号平取穂別線から分岐する道道131号は鵡川を渡り(1)、富内の集落に入る(2)。富内はかつては林業、鉱業で発展していた地であるが、今は物静かな集落である(3)。

富内集落には旧国鉄富内線富内駅が保存されている。駅舎、駅舎側ホームは廃線前の雰囲気がそのまま残っている(4,5,6)。そして、一部のレールは銀河へ向かっている(検索してください)。



(4)旧国鉄富内線富内駅跡



(5)昔のまま?



(6)雰囲気はあるが…



(7)歩道と踏切跡



(8)ゲート



(9)ゲートの先は民家無し


道道は、富内の街を過ぎるところで旧富内線の踏切警報機が現役で残っている。また、通学路なのか歩道がしっかりと完備されているのが印象的(7)。しばらく進むと鵡川の川沿い区間にゲートがあり(8)、その先から徐々に高度も上がっていく。ゲートの先は無人地帯だ(9)。

いよいよ寂しくなったところで2車線舗装路は、シマロップ沢の橋を渡ると砂利道狭路となる(10)。(8)で見えていた鵡川はだいぶ下のほうを流れている。この砂利道区間は、鵡川の切り立った崖を、厳しい地形を怪しげに進む(11)。



(10)砂利道狭路に



(11)川沿いの崖を進む



(12)大崩付近 落石 通行注意


(12)は「大崩付近 落石 通行注意」と案内しているが、現在地名としては存在していないようだが、かつて大崩という地名があったのだろうか?

この区間は、カーブの連続区間で、カーブからハッとさせられるような鵡川の流れを見ることが出来る。紅葉の時期はさぞかし綺麗であろう(13)。道は崖地なのですぐ急斜面(14)。

一旦川沿いを離れすぐ川が見渡せる地点には覆道が待っている。覆道手前は少し道が広く、そこには殆ど消えかかった字で「オロロップ渓谷」と書かれた木標、そして出来たての1級基準点なるものが、ガードロープのそとにある(15)。

(15)地点からみた鵡川には、古くなったコンクリートの堰堤が見える(16)。



(13)鵡川を望む



(14)崖地に道路



(15)覆道と渓谷案内と基準点



(16)鵡川の発電所跡?



(17)覆道内



(18)旧道の橋桁


覆道内は大型車とはすれ違えないが、乗用車同士であればなんとか離合できる幅はある(17)。

覆道を出ると、坊主沢?の橋があり、ここには、旧橋脚が残っている(18)。抜けてきた覆道の上は、土砂が堆積しており、枯れた植物となっている。この区間は無理矢理道路を通している箇所で、ここががけ崩れにでもなったらこの道路は復旧するのか?と考えてしまう。
ちなみに覆道出口の白い案内には、富内と書かれている。

(16)の堰堤を上流から見るとこんなかんじ(19)。



(19)(16)の反対側の流れ



(20)坊主沢の五輪塔



(21)坊主沢?


(18)の撮影地点には、「坊主沢の五輪塔」と書かれた案内板がある。そしてその横の岩の上に五輪塔(20)。えさんのページを見ると、案内板は新しくなったようだ。

案内板には、

坊主沢の五輪塔

昭和27年発電所工事に先だって工事の安全祈願と、無縁仏供養のため当時の横山正明村長の発案で建てられた。造材搬出の盛んな頃からここはひどい難所で工事も困難をきわめた。等の意思は村民が背負って運び政策は伊達市の森田某、開眼法要には永平寺福井天童師を招いたといわれます。
いまも急崖の懐に谷の風をうけて凍然と


この五輪塔の下を流れる鵡川を横切るコンクリート堰堤が発電所跡なのでしょうか?礫がたくさん堆積してしまっている。

ちょっとネットで調べたのだが、この場所に発電所があったかはわからなかったが、大変興味深いページ『 宮沢賢治の詩の世界 』を見つけた。

(18〜21)地点から高度を一旦下げ道は鵡川の川面に近づくような道が続いている。その先には崩落して木々の無い山肌とその下に緑色の覆道が見える(22)。

 



(22)奥に緑の覆道が

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