美唄川上流の廃橋群

美唄市の市内から山中に伸びる道道135号線美唄富良野線は、これを書いている2010年現在、芦別、富良野へ向けて美唄ダムの先の区間の山中を工事中である。

そしてこの道路は、かつての炭鉱で栄えた美唄の炭鉱群街を結んでいた道路でもある。現在、寂しい我路の街並みを過ぎると、一番山奥にあった三菱美唄炭鉱の常盤台の集落は無くなり無人の地となっている。

2001年の話になるのだが、美唄鉄道の跡や炭鉱の跡を探索に行く途中、美唄川に架かる1本の廃橋が目にとまった(1)。

橋の欄干と骨組だけ。橋の上はすっからかんとなっており、成長した白樺が橋の袂に生えている光景。

橋の向こうはどうなっているのか?、この橋が現役時代だったころを想像したりしてみるのだけで楽しいのである。

この景色を再度見ようと、2006年11月にえさんの協力で再訪することが出来た。



(1)



(2)



(3)

久しぶりにこの橋を見たわけだが、特に何か変化があるわけでもなく、ただそこに白樺の木と橋は有った(2)。

現在は、国土情報ウェブマッピングシステムで昭和51年の状態が見れるので、炭鉱閉山してから何年か経った状態(右下の青い屋根の横の橋)を見ることが出来る。

(1)橋からすぐのところにも橋がある(3)。

こちらはコンクリート橋。欄干の一部が壊れているが、車は通れる感じ。実際橋を渡った先には轍があるが、道路横の草が道路を塞いでいる(4、5)。

上記の写真を見ると、橋を渡ったところには大きな建物の炭鉱病院があり、その周辺は美唄地区で最大の人口密集地区の炭鉱住宅が広がっていたようで、嘗てはさぞかしにぎやかな場所だったのだろう。

この橋は、炭鉱生活を支えた重要な橋であったようだ。



(4)



(5)

 
故郷美唄の思い出」というサイト内では、炭鉱の栄えていた時代の写真や、初三郎の鳥瞰図を公開しているので参考にしてください。

美唄三菱炭鉱跡は炭鉱メモリアル森林公園として整備されている(6)。空中写真を見ると公園の手前の部分にも炭鉱住宅などが残っているが現在は空き地。

地図の道路が舗装から、砂利にかわる地点?のように見えるところに(7、8)の橋がある。

(7)の橋の向こう側に道筋が見えるが、前者の(3)まで道路が繋がっていたようだが、昭和51年の段階で道も悪い状態のようだ。現在その道は、ほぼ廃道でしょう。

橋も。下流側の欄干が無く、車の往来した跡は無く、対岸は藪となっていた(8)。



(6)



(7)



(8)



(9)
 
朱色の立坑跡過ぎたところに、(9)の橋がある。
どうも上流部で行われている道路工事のダンプカーが往来している模様で轍が大きく、橋を渡った向こう側も砂利を入れたような道路であった。橋の強度は問題ないのかしら?。
 



(10)



(11)

(9)の橋を過ぎて上流部に向かう。途中対向車線と離れ離れで走る区間を過ぎ、川面と道路のレベルがだいぶ変わる。川面は谷となり、道路は谷の上を通る。

すると木々の隙間から下にアーチの廃橋が…(10、11)。

空中写真では、上のほうの白い橋かな?

橋の上のには板が載っているが、腐ったり、緑の苔?が生えているような状態。その板すら崩落している部分も。

 
残念ながら手前の木々が邪魔して写真では分かりにくいですね。もっと写真大きくしたらわかると思うでしょうが、ご容赦を。
夏場は緑に埋もれて解らないでしょう。

この周囲は森林しかなく、橋脚のコンクリートもボロいし、この橋って…なんでここに存在しているの??、森林鉄道なんてあった訳ないしなあ〜と、訪問時は何の予備知識もなく眺めたのだった。

現在は無人地帯のだけど、このページを作るにあたって、航空写真や地図をネットで探したら炭鉱が繁栄していた頃の昭和38年の写真が見ることが出来、この辺りにも集落があったことがわかった。

この写真は、今まで紹介していた集落にもつながっていた橋の周りも映っているので現在の物と比べるとその対比が面白く感じてしまう。

集落が消滅して、後植林時の林道として使われ役目を果たしたのかな?
今は欄干みあたらないけど、当時はまさかあったのでしょうね。欄干ないと危なくて怖いよなあ〜。川面まで30mはあるかな?

そこからしばらく行くと美唄ダム(12、13)がある。
このダム湖の下にもかつては街があったことは、上記の国土変遷アーカイブの空中写真で知った。知らなかったことだらけなのである。



(12)



(13)



(14)
 
道道は、ダム管理事務所の先も続くが、事務所のそばの道道の橋の横にも、橋梁が見えるのである(14)。
竣工年月は平成4年11月渡道道の橋には記載されていた。

見るからにそう古くは無い造りの橋(15)は、緩いカーブで谷を渡るが、道道からこの橋へのアプローチする部分は通行不能なのである。

この橋は、ダムの管理道路だったであろうから道道の橋が出来て、廃橋になったのであろう。

ダムの上流部をさらに進む、といってもちょっとだけ。するとまたまた現れたよ(16)。



(15)



(16)



(17)

(15)とは仕様が異なり、谷を長いスパンで渡る廃橋。欄干部、こちらはガードレール。

この橋も、前者同様、車では通ることが出来ない。橋の手前には大きく土盛りされており、橋がどうなっているか撮影するのに登ったけど、人も寄せ付けないようになっていた(17)。橋の幅は、トラックが1台通れば人も歩けないよ!といった道幅の橋で道道の規格としては無理がある。欄干には橋梁名板が付いていて「よんのさわばし」と書かれていた。

ちなみに並行する道道の橋の名前は「雨美橋」だった。

この橋から少し進んだところで、道路は工事関係者以外立入禁止となっていた(18)。


路面評価なし
景色★☆☆☆☆
2006年11月観察



(18)


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