太刀別鉱跡を過ぎ、しばらく走ると昭和地区がある。炭鉱までの道の横には石炭を運んだ留萌鉄道の跡が並走する。ポロピリ湖の展望台にあった地図を参考にしてみると、小中学校や住宅が道路沿いにあったことがわかる。



留萌鉄道の橋脚跡が点在する


昭和地区にあった小中学校跡?

さらに進み橋を渡って昭和地区の核心部へと…。ここは正直危険です。
 橋は老朽化しており、川による土壌の侵食のため橋に穴があいているので車も慎重に走らせる。またこの付近は護岸工事がしていないので川沿いの道は路肩が川によって削られているので注意が必要だし、雨が降って地盤が緩んでいるときはなおさら危険度が増しているはず。人がいない地区なので熊も絶対にいそう。そういう意味で超危険地域なのです。

前もって書いておきますが
このページを見てこの地区を探索して

事故、トラブルにあってもいっさい責任を負いません。



橋の半分に穴が…超危険!!


2001年秋、この地で探索を断念。

 2001年秋にこの場所に来たのだが、橋を渡ると悪路と周りの植物によって進行不能となり、橋を渡ってすぐコンクリートの建物跡がなんとなくあるなあというのを確認して、こんなところに来ると不気味な雰囲気で1人で心細いので探索を打ち切った。後で調べたらこの建物は選炭場であった。
 2002年春、友人を誘ってこの地区を再訪した。秋は枯れ草が生茂って見えなかったものが春初めでは見ることが出来る。悪路だった道もじゅうぶん悪路なのだが、枯れ草が倒れている(積雪のため)ので断然走りやすい。橋を渡ると、秋には気付かなかった鉄道のターンテーブル(転車台)跡の丸いコンクリートの窪みが選炭場の手前にあった。
 選炭場の道路をはさんだ反対には、入口の小さいトンネルがあり展望台にあった地図では「隋道内部マーケット」と書かれているが、雪深いこの地ではお店がこの中にあったのかは調べることが出来なかった。
 悪路をさらに行くとそこには…4WDでよかったけれどクロカンだったらなぁ…。



ターンテーブル跡に木が生える



上の秋の写真と同部位



このトンネル内にマーケット?



操業中の選炭場



悪路の先には建物が…



現在の選炭場(上写真と同カット)


 道の先には、朽ちた炭鉱住宅が放置されていた。秋にココまで来たかったのだが、前述のように枯れ草が生茂り、200〜300M進むことが出来なかった。
 建物の先まで行くとさらに道が続いてたが、クロカンタイプの車じゃないと行くのは無理そうだったのであきらめる。この先にも住宅が広がりプールもあったが今はどうなっているのだろう?。
 それでもこの建物を見れただけでも嬉しかった。 橋まで戻り、さらに山奥に行くと川に浄水場の跡が木々の隙間から見ることが出来た。


炭住の不気味な廃墟



操業中の昭和鉱住宅街、右本町と左本町



左写真の現在、屋根が雪の重みで朽ちている


ここで用いた過去の写真(白黒)は沼田町史から引用しました。問題があればすぐ消去します。

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